2020-06

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ドゥ・ザ・ライト・シング〜無関心のままじゃヤバイんだよ、そろそろ真剣になろうぜ

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いまを生きる〜「本当の学校教育とは何なのか?」を力強く教えてくれる不朽の名作

「学校教育」の意義が問われ始めてから、もうどれくらいの歳月が経つだろう。進学するための勉強を数値で測ることは、受験システムを強大化させ、必然的に学習塾のニーズを高めた。そしてイジメ問題、親の口出し、経済格差の広がり……学校を取り巻く環境は今も深刻な領域から抜け出せずにいる。「なぜ受験するのか?」という問いに、自分の言葉で明確に答えられる子供など果たしているのだろうか。ほんの一握りでは意味がないのだ。 世界に標準を合わせ、英語教育やIT教育を推進する動きも出てきてはいる。だがそれ以上に必要なのは「生きていく力」「他人を思いやる力」であり、「夢を実現する力」「課題を解決する力」であるべきではないか。例えば、お金のリテラシー教育やイノベーション教育を導入した方が、日本の未来を担う子供たちは、もっと笑顔で自信を持って一歩目を踏み出すことができるようになると思う。 『いまを生きる』(Dead Poets Society/1989)は、まさにそんな“人間のあり方”を伝えてくれる力強い映画。30年前の作品だが、今もその輝きは色褪せてはいない。 主演は惜しくも亡くなった名優ロビン・ウィリアムズ。そして500人ものオーディションから選ばれたという7人の生徒たち。その中にはイーサン・ホークもいた。監督はピーター・ウィアー。脚本はトム・シュルマンのオリジナルで、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞。 1959年、ニューイングランド州バーモント。森と湖に囲まれ、渡り鳥の大群が舞うほど美しい自然に恵まれたこの地に、全米屈指の名門校ウェルトン・アカデミーがある。全寮制の男子校で創立100年を誇るこの学校は、「伝統・名誉・規律・美徳」の教育理念のもと、生徒たちに名門大学へ進学することを課し、管理の行き届いた環境で親たちから絶大な信頼を得ている。 今年も新学期がやってきた。同校のOBだというキーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してくる。教育理念をもじり、「模倣・醜悪・退廃・排泄」の地獄の学院と自虐する17歳の少年たちにとって、新しい教師は注目の対象だ。しかし、キーティングは型破りの言動と授業を展開して彼らを驚かせる。 教育方針は「今を生きろ」。偉大な詩人たちを数値で測ろうとする教科書の序文を破り捨てることを命じ、机の上に立っていつもと違う新しい視野を持てと説く。 生徒一人ひとりの可能性や情熱、..
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奇妙な宇宙船に乗って旅立っていった男〜ジャズ界の鬼才エリック・ドルフィーを偲んで

今日は、ロサンゼルス生まれのジャズ・サックス奏者エリック・ドルフィー(享年36)の命日です。 卓越した技巧と独特のアドリブフレーズで知られるサックス演奏の他に、フルートやクラシックにおいて使用されるのが主だったバスクラリネットをジャズの独奏楽器として用いたことで、後のジャズ奏者に多大な影響を与えた男である。 1958年、長い“下積み生活”を経てきた彼は30歳にしてチコ・ハミルトン楽団に参加。 程なくして、あのジャズ界の巨人ルイ・アームストロングのバンドのベーシストとして活躍していたチャールズ・ミンガスの楽団に加わる。 同時期にソロ活動も開始。 1961年にはトランペット奏者ブッカー・リトルとの双頭コンボを組むも、同年10月のリトルの急逝で頓挫。 1961年~62年まで、ジョン・コルトレーンのグループに参加し、1964年には再びミンガス楽団に加わった。 そして同年、ミンガス楽団のヨーロッパツアーに参加中、糖尿病による心臓発作のためベルリンにて他界。 遺品となったバスクラリネットとフルートは、ドルフィーの両親からコルトレーンに贈られたという…。 彼が32歳の時に発表したアルバム『Out There』(1960年)のジャケットには、サルバドール・ダリ風の奇妙な絵が描かれている。 空中に浮かんだコントラバスの船にドルフィーが乗って、なんだか難しい顔でサックスを吹いている。 船の帆はチェロ、屋根はシンバル、側壁からはホーンが突き出ており、船底にはフルートがへばりついている。 航跡には楽譜が漂い、丘の上には灯台のかわりにメトロノームが立っている。 それはまるで“宇宙の場末”を彷徨いつづける心を表現しているかのようだ。 また、このジャケットの裏にはドルフィー自身による、こんな言葉が書き記されている。 何か新しいことが起きようとしているんだ。 それが何であるか僕にはわからない。 でもそれは新しいものであり、優れたものなんだ。 そして、それは今まさに起ころうとしている。そのまっただ中に、ここニューヨークにいられるというのは本当に素晴らしいことだよ。 このアルバムは録音されたのは1960年の8月。 保守的な50年代もようやく終りを告げ、ジョン・F・ケネディが大統領に選出される少し前のことである。 長年に渡って薄暗い場所で下積み生活を余儀なくされていた彼にも、この頃からスポットライト..
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ストレート・トゥ・ヘル〜ジョー・ストラマーやエルヴィス・コステロらが出演したB級映画

それは1986年、映画『シド&ナンシー』がカンヌ映画祭に招待された時から始まっていた。監督のアレックス・コックスが宿泊先のホテルで休んでいると、激しいノックの音がした。ドアを開けると、ジョー・ストラマー、俳優兼脚本家のディック・ルード、カメラマンのトム・リッチモンドが勢いよく転がり込んできた。3人は部屋で酒を飲み続け、喋りまくり、酔っ払って、そして静かになった。 アレックスが朝目覚めると、窓を閉め切ったままエアコンも止まっていて酷い空気が充満していた。インタビューを受ける仕事があったので、3人を残したまま窓を開けて部屋を出た。 戻って来たら、ホテルのプールサイドで二日酔いの彼らが、黒いスーツを着たままヘロヘロでコーヒーを飲んでいた。まるでジム・ジャームッシュの映画に出てくるような登場人物たちに思えたよ。それで人を殺し損ねた人殺しのイメージが思い浮かんだってわけさ。 スペインのアルメニアに出向いて“それらしい”風景を目にすると、そこが昔、チャールズ・ブロンソンの映画で使われた砂漠のセットの廃墟であることを知る。ロケ地としては文句がない。構想は映画化へと向けて始動。アレックスとディックは3日間で脚本を書き上げた。『ストレート・トゥ・ヘル』(Straight to Hell/1987)の誕生だ。 出演するのはクセが強すぎる連中ばかり。サイ・リチャードソン、ディック・ルード、ジョー・ストラマーの主役3人をはじめ、エルヴィス・コステロ、ザ・ポーグス、コートニー・ラヴ、グレイス・ジョーンズ、ジム・ジャームッシュ、デニス・ホッパーらがキャスティングされた。 アレックスはスペイン当局から「過酷な環境下の撮影でみんな気が狂って監獄行きになる」と警告されたが、そんなことよりもミュージシャンの連中が本当に演技できるのか心配だったという。しかし、ジョーは拳銃を扱う特訓を3週間も受ける熱の入れようだった。 『ストレート・トゥ・ヘル』のシムズは、俺のために書かれた役なんだ。服を変えないところなんかさ。『シド&ナンシー』で仕事している時、俺とアレックスは毎日のように会っていた。しばらくすると彼は俺が服を変えないことに気づいた。あの時の俺は何の拠り所もなくて、考えてる間くらい同じ服でいようと思ってたんだ。(ジョー・ストラマー) ヘビだのサソリだの太陽だのが、俺を消耗させるんだろうと思ってた..
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ブレードランナー〜続編公開! あらゆるカルチャーを圧倒した「奇跡的な作品」

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美空ひばりが芸の道に生きると、あらためて決意した27歳の夏

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ロックギターの“改革者”ジェフ・ベック〜ストーンズからの誘い、そしてビートルズのプロデューサーを迎えて作った名盤

ジェフはとても変わった男だった。 彼の最大の趣味は車で、特にホットロッドカーに興味があり、車の下に潜り込んでオイルを交換し、体中油だらけになることが最も楽しんでいる時間なんだ。 彼は機械をいじって遊ぶのが大好きで、自分のギターも“古い鉄のかたまり”のように見なしているようだったよ。 ボロボロになった古いフェンダーを持ってきて「このギターは良くないな…」とか言う。 私が「別のギターはないのかね?」と聞くと、「これしかないよ」なんて言いながら、そのギターで信じられないほど美しく、天にも上るようなサウンドを作り上げるんだ。(ジョージ・マーティン) ジェフ・ベック。 多彩な奏法と抜群のセンスでギターの可能性を極限まで拡げた“改革者”としてロック史にその名を刻んできた男だ。 一般的に“ロックの3大ギタリスト”と言えば、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、そして彼の名前が挙げられる。 クラプトンはブルースの魂を追求する“求道者”として。 ペイジはハードロックを完成させた“創造者”として。 そして彼はロックギターの“改革者”として。 今日は1944年6月24日に生まれた彼の誕生日にちなんで、まさに“ジェフ・ベックらしい”エピソードをご紹介します。 ──1974年12月、ザ・ローリング・ストーンズのギタリストだったミック・テイラーがバンドからの脱退を表明する。 バンドは早々に新しいギタリストのオーディションを行う。 当時31歳だったジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ピーター・フランプトンなど、一流ギタリストがミック・テイラーの後任候補としてオーディションに臨んだが…なかなか決まらず、ストーンズはそのまま4人のメンバーで新作アルバムの製作を続けることとなる。 予定通りレコーディングに取り掛かったストーンズだが、後任ギタリストのオーディションを行いながらのスタジオ作業となったため、スケジュールは大幅に遅れていた。 ストーンズへの加入を打診され、実際一緒に演奏したことについて彼はあるインタビューでこんな風に語っている。 当時ストーンズから連絡があり「オランダのロッテルダムに来て、いくつかの曲に参加して欲しい!」と、オファーを受けたんだ。 スタジオに到着すると、400本ものギターに別々の名札がつけられて並べられていたよ。 俺は「これは全部キースのギターかい?」と聞くと、彼らは「違うよ..
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沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲

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オズの魔法使〜“虹の彼方”からやって来る圧倒的なイノセンスの世界

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ジュディ・ガーランドを偲んで〜“史上最高のエンターティナー”と呼ばれたトップスターの光と影

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ニューヨーク・ニューヨーク〜有名なあの曲はライザ・ミネリがこの映画で初めて歌った

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ジョン・リー・フッカーを偲んで〜“ブギの王様”と呼ばれたブルースマンの足跡と功績

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ジェリー・ゴフィンを偲んで〜妻キャロル・キングと幾多の名曲を生み出した作詞家が、別れの後に綴った失恋ソング

「彼の詞は、多くの人々が感じていながら言い表す術(すべ)を知らなかった想いを表現していた。」(キャロル・キング) 2014年6月19日、キャロル・キングの元夫で作詞家のジェリー・ゴフィン(享年75)がロサンゼルスの自宅で死去した。 死因は自然死だったと報じられた。 彼はキャロル・キングと共に「Will You Love Me Tomorrow」や「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」などの名曲を生み出し、その後も、キャロルをはじめとしたソングライターたちとのタッグで全米チャート“トップ40”に59曲の作品を送り込んだ人物である。 キャロル・キングにとって彼は初恋の人だったという。 彼の訃報を受けて、キャロル・キングはこんな言葉を残している。 「彼は私の人生そして世界に深い衝撃を与えた。ジェリーはいい人であると共に、素晴らしい力の持ち主で、彼の創造した作品(歌詞)は今後何世代にも渡って人々の心を動かすだろう。」 1939年2月11日、ジェリー・ゴフィンはニューヨーク市ブルックリン区でユダヤ系ロシア人移民の両親のもとに生まれた。 ブルックリン実業高等学校 (Brooklyn Technical High School) を卒業後、徴兵されてアメリカ海兵隊予備役に編入している。 海軍兵学校で1年間学んだが…その後は海軍を辞め、ニューヨーク市立大学クイーンズ校に入学して化学を専攻した。 1958年、大学在学中(当時19歳)にキャロル・キング(当時16歳)と出会い、翌年8月に二人は結婚して夫妻でタッグを組んで作詞作曲をするようになる。 1960年、4人組の黒人女性グループ、ザ・シュレルズに「Will You Still Love Me Tomorrow」を提供。 同曲は翌1961年1月にBillboard Hot 100の首位を獲得し、二人にとって初のヒットとなる。 その後、スティーブ・ローレンスとダニー・オズモンドが歌った「Go Away Little Girl」が、1962年と1971年の各バージョンが共に1位を記録。 ザ・モンキーズが歌った「Pleasant Valley Sunday」もビルボード全米3位まで上昇するなど、二人は次々とヒット曲を作り続ける。 ボビー・ヴィーの「Take Good Care of My Bab..
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西城秀樹に『∀ガンダム』の主題歌「ターンAターン」を作った小林亜星との出会いは『寺内貫太郎一家』

1999年から2000年にかけて放送されたフジテレビ系アニメ『∀(ターンエー)ガンダム』で、ストーリー前半のオープニング主題歌「ターンAターン」を歌ったのは西城秀樹だった。 監督の富野由悠季が井荻麟のペンネームで作詞したこの曲は、CMソングの「レナウン・ワンサカ娘」や「日立グループ・この木なんの木」、テレビアニメの「魔法使いサリー」、「ひみつのアッコちゃん」、「狼少年ケン」、「ユカイツーカイ怪物くん」でも知られる小林亜星が作曲した。 「ターンAターン」を歌うことになったきっかけは四半世紀前、二人が共演した人気テレビドラマ『寺内貫太郎一家』が、1999年2月に東京の新橋演舞場で舞台化されたことに端を発している。 そもそもの出会いは1974年のTBS水曜劇場のドラマ『寺内貫太郎一家』のなかで、親子の役で初共演したときにまでさかのぼる。 西城秀樹は1972年3月25日、ビクター音楽産業のRCAレーベルから、”ワイルドな17歳”のキャッチフレーズで、「恋する季節」で歌手としてデビューした。 それに少し遅れてジャニーズ事務所の郷ひろみが8月1日、「男の子女の子」でCBSソニーからデビューしたことで、先行していた野口五郎と西城秀樹の3人で「新御三家」と呼ばれた。 そこから全員がヒット曲に恵まれて、トップアイドルという扱いになっていった。 1973年6月25日にオリコン・チャートで「情熱の嵐」が初のベストテン入りを果たして勢いづいた西城秀樹は、続く「ちぎれた愛」と「愛の十字架」がともにオリコン・チャート1位を獲得した。 そんな人気絶頂時の1974年1月に始まったのが、東京の下町を舞台にしたテレビドラマ『寺内貫太郎一家』だった。 台東区の谷中にある石屋「寺内石材店」を中心に、三代目の職人である寺内貫太郎一家や職人さん、近隣の人々とのふれあいが描かれている。 原案と脚本は向田邦子、演出とプロデュースが久世光彦、平均視聴率31.3%を獲得したほか、その斬新な内容で1974年第7回テレビ大賞を受賞した。 登場人物は貫太郎を支える妻の里子(加藤治子)、沢田研二のポスターの前で身悶えながら「ジュリ~!」と叫ぶ母のきん(樹木希林)、父の仕事場で起きた事故で足が不自由になった長女の静江(梶芽衣子)、静江の恋人で妻と別れたばかりの上条(藤竜也)、住み込みのお手伝い相馬美代子(浅田美代子)、それ..
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スーパーフライ〜『黒いジャガー』と並ぶ“ブラックスプロイテーション”の名作

タイトルを聞くと、すぐに音楽やスコアを手掛けたアーティストが出てくる映画がある。例えば『死刑台のエレベーター』ならマイルス・デイヴィス。『パリ、テキサス』ならライ・クーダー。『ブレードランナー』ならヴァンゲリス。『デッドマン』ならニール・ヤングといったように。あの音一つで、映画全体のムードを作ってしまうような音楽。 今回の『スーパーフライ』(Super Fly/1972)なら、もちろんカーティス・メイフィールドだ。映画は『黒いジャガー』(こちらはアイザック・ヘイズ)と並ぶ1970年代前半の“ブラックスプロイテーション”を代表する傑作。 “ブラックスプロイテーション”とは、黒人による黒人のための映画であり、公民権運動やニューシネマを経たことで生まれたジャンル。それまでの道徳劇の中に出てくるような優等生的な黒人より、都市部の貧民街に生きる黒人の姿をリアルに描こうとしたもの。よって犯罪や麻薬といった過激なものが多いが、内容がどうであれ、黒人としての誇りがメッセージとして込められているのが特徴。『スウィート・スウィートバック』(1971)がその先駆けと言われている。 『スーパーフライ』は、スタッフもキャストも、資金源もすべてが黒人の手によるもの。監督は『黒いジャガー』を手掛けたゴードン・パークスの息子。映画に出資した18人の中には、投資家、経営者、医者から売春宿の主人や女将、麻薬の売人までがいたという。まさにハーレム社会の縮図だ。 低予算だったのでほとんどがノーギャラで、街頭でのゲリラロケとなったらしいが、それゆえにフィルム全体に強烈な色気と体臭が漂うことになった。カーティス・メイフィールドのサントラ盤はビルボード総合チャートで4週に渡って1位に輝き、「Superfly」「Freddie’s Dead」もトップ10入り。 なお、90年代になってスパイク・リーらのブラックムービー、あるいはLAのギャングスタ・ラップが一大ムーヴメントを巻き起こすが、『スーパーフライ』は映画・音楽の両面でこの動きに多大な影響を与えた。 舞台はNYのハーレム。麻薬売人のプリースト(ロン・オニール)が、手持ちの30万ドルで30キロのコカインを仕入れ、4ヶ月で100万ドルの金に変え、恋人と新天地と自由を求めて、どうしようもない世界から脱出するというもの。そこには仲間の裏切り、黒幕となる警察の汚職があ..
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