フレディ・マーキュリー死の直前〜死を受け入れながら過ごした日々

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「波乱万丈だし、馬鹿でかい問題も抱えていたけど、でも素晴らしい人生を送ることができて悔いはないよ。やだなぁ…これじゃエディット・ピアフだね。」

1986年10月、イギリスのマスコミはフレディがロンドン・ハーレー街(上流階級の住宅地区)の診療所でHIVの血液検査を受けたと報じた。
当時、日刊タブロイド新聞ザ・サンのリポーターが日本から戻ってきたばかりのフレディにヒースロー空港でインタビューしたが、彼は病気を否定した。
パートナーのジム・ハットンはフレディのエイズ感染に関する“認識”についてこんな発言を残している。

「彼は1987年4月の後半には感染を認識していた。」

本人は対外的には噂を否定していたものの、英国のマスメディアは1990年頃より、フレディのやせた外観、クイーンのツアーへの不参加などから、エイズに感染しているのではないかと盛んに報じた。
フレディが生前最後にステージに立ったのは、1990年2月18日にドミニオン劇場で行われたブリット・アワードの授賞式だった。
ちょうどその頃、クイーンは14thアルバム『Innuendo』のレコーディングのため、スイスのモントルーにあるマウンテンスタジオに集結していた。
人生最後の年…マスコミに追いかけ回されていたフレディは、体調の許す限り何度もモントルーに滞在したという。
ゆっくりとレコーディングを進めながら…静穏な場所に安らぎを求めるかのように。
フレディの大学時代の友人、ジェリー・ヒバートが新作のミュージックビデオのアニメーションを担当することとなった。

「彼が病気だという噂を聞いていたから、当然ながら心配していたよ。それで打ち合わせの時にマネージャーのジムに聞いたんだ。やはり病気で映像は無理だからアニメーションにするのか?ってね。そしたらジムは僕にフレディの病気に関してキッパリ否定したんだ。フレディの意思で徹底していたのかもしれない。」


アルバムの中からシングルカットされたタイトル曲「Innuendo」は、1991年1月にリリースされた。
フレディに関してマスコミが騒ぎ立てる中、バンドにとっては10年来の英国チャート首位を記録した。
フレディの存命中に発表された最後のスタジオアルバム『Innuendo』は、イギリス、スイス、イタリア、ドイツ、オランダで一位を記録し、アメリカでは1984年発表の『The Works』以来、初めて(発売時に)ゴールドディスクとなった。
セカンドカットとなったシングル曲『I’m Going Slightly Mad(狂気への序曲)』のミュージックビデオでは、痛ましくやせ細り、厚化粧をしたフレディが道化師を演じている。

1991年の春、もう時間との闘いで非情な使命を帯びていたクイーンは、再びスイスのマウンテンスタジオに戻ると、新作アルバム『Made in Heaven』の制作に着手した。
本作はフレディの死後4年経ってからリリースされ、全世界で2000万枚以上の売り上げを記録。
皮肉なことに、クイーンのスタジオアルバムとしては最大のヒット作となった。
レコーディング中、フレディは力尽きつつあっても…ウォッカの力を借りながら、長時間の過酷な作業に励んだという。
ブライアン・メイは当時の様子を憶えていた。

「奇跡が起きるだろうと心のどこかで思っていたよ。スタジオにいたみんなが同じ気持ちだったんじゃないかな。」

長年フレディの秘書を務めたピーター ・フリーストーンもこんな発言を残している。

「辛く悲しい日々だったけれど、フレディは気落ちしていなかった。自分が死ぬんだということを事実として受け入れていた。凄いことだと思う。だけど、年老いたフレディ・マーキュリーなんて想像つくかい?」

1991年6月、クイーンとの仕事を終えた後、フレディはケンジントンの自宅に戻った。
死期が近づくにつれ、フレディの視力は衰え始めた。
容体は急速に悪化し、ついにはベッドから出られなくなった。
やがてフレディは薬の服用を止め、死と向き合う決断を自ら下した…
最後の週には、フレディの担当医で友人のゴードン・アトキンソン医師が毎日彼の家に訪れた。
フレディの運転手だったテリー・ギディングスも、雇い主はもう何処へも出かけないとわかっていても、毎日彼の家で待機していた。
メンバーたちもお見舞いに訪れた。
死の数日前には、両親と妹、その子供たちがフレディに会いに来た。
フレディの部屋で、みんなでお茶をして穏やかなひとときを過ごしたという。
秘書のピーターは、その時の様子は回想録に記している。

「人並み外れた精神力で、フレディは数時間みんなの相手をすることができた。まだみんなを守ろうとして、何も心配することはないと思い込ませようとしていたんだ。」

1991年11月24日の夜、フレディはケンジントンの自宅で死去した。
45歳という若さだった。
死因はエイズによる気管支肺炎と発表された。
彼の死を伝える報道は、11月25日の午前中に新聞とテレビによって報じられた。
フレディの遺言により、遺体は遺族により火葬されて散骨された…


<引用元・参考文献『フレディ・マーキュリー~孤独な道化~』レスリー・アン・ジョーンズ(著)岩木貴子(翻訳)/ヤマハミュージックメディア>
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https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12572525158.html
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