ダーティ・ダンシング〜ダンスの躍動感や恋の歓喜が表現された伝説のオープニングシーン
今から思えば、80年代の日本の若者文化(とりわけ都市圏の高校生文化)は、まだまだアメリカの影響が色濃く残っていたと思う。信じられない話だが、「“白いアメリカ”の流行=クールだから真似てみよう」的なことが当たり前のように行われていた。特にファッション、メイク、音楽、映画、スポーツ、飲食店、遊び場など、“白いアメリカ”の存在価値は大きく、雑誌やTVがそんなムードを後押ししていた。
ちなみに90年代に入ると、今度は「“黒いアメリカ”がクール」という流れが起こり、渋谷のコギャルがエア・ジョーダンを履いた彼氏と一緒にヒップホップのCDを買いに行くなんてことも普通になった。
アメリカを後追いしなくなった=リアルタイム化したのは、インターネットやケータイが定着して“情報の先取り格差”がなくなり始めたゼロ年代以降のことだ。スマホやSNSアプリが主流になった10年代では、アメリカの文化は世界の選択肢のうちの一つといったところだろう。ある意味“成熟した日本”の若者文化は、もはや“憧れのアメリカ”文化を必要以上に気にすることはなくなった。
『ダーティ・ダンシング』(Dirty Dancing)は、日本でバブル経済がスタートしたばかりの年、1987年11月に公開された(アメリカは8月)。都市圏の高校生の間ではアメカジやスケボーが流行った頃だ。ジョン・ヒューズ監督作やトム・クルーズ主演作をはじめとするアメリカ青春映画も全盛期を迎えていた。
それまでのアメリカ青春映画は、公開当時に映画館へ見逃さずに出向くか、数年後に民放の編集された吹き替え版ロードショーで観るかのどちらかしかなかった。だが、80年代のレンタルビデオの爆発的普及で後追いが可能に。誰もが“個人的に感動しやすく”なった環境の中で、89年とか91年になって『ダーティ・ダンシング』に触れた人も少なくない。
そんな「“白いアメリカ”がクール」だった時期に青春期を送った今の40代半ば〜40代後半の人々にとって、『ダーティ・ダンシング』を「あの頃の思い出カタログ」の中から何の迷いもなく除外できる人はいるのだろうか。
60年代を舞台にしているにも関わらず、強烈な“80年代臭”を醸し出すのは、MTVスタイルの音楽映画だったからだろう。本国アメリカでは低予算の映画は大ヒット。500万ドルの製作費に対し、2億ドル以上の興行収入を叩き出した。また、サン..