マリアンヌ・フェイスフル〜ミック・ジャガーの恋人、薬物・アルコール依存症を乗り越えて、老婆を好演する女優となって
「That of all the girlfriend’s he’s (Jagger) ever had,He loved her(Marianne) the most(ミックはこれまでのすべての恋人の中で、マリアンヌのことを一番愛していたわ)」
これはミック・ジャガーの2番目の妻ジェリー・ホールが語った言葉だ。
父は薔薇を約束してくれた
そして母は嵐を
父は頭を使うことを教えてくれた
そして母は喋ることを
彼がそっと頭を撫でてくれると
私は生まれるような気分なの…
──マリアンヌ・フェイスフル。
彼女は1968年に公開された映画『あの胸にもう一度』で、裸に黒革の衣装をまとってアラン・ドロンと共演し、日本の人気漫画『ルパン三世』に登場する峰不二子のモデルとなったと言われている女性だ。
1964年のデビュー当初、そのロリータ的な美貌と透き通るような歌声で一躍英国を代表するカルチャーアイコンとなった彼女。
そしてザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとの交際が発端となり、酒とドラッグに溺れ、波乱の時期を経ながら…現在も音楽活動を続けながら女優としても活躍している。
今日はこれまで彼女がどんな人生を歩んできたのか?その生い立ちや足跡をご紹介します。
──彼女は1946年12月29日にイギリスのロンドンで生まれた。
父親が英国人で母親はオーストリアの名門貴族の家系出身だという。
“マゾヒズム”という言葉の由来となったレオポルド・フォン・マゾッホを親戚に持つことでも有名である。
幼いころに両親が離婚し彼女は修道院で育つ。
16歳の頃には男の子たちの憧れの的になり、ボーイフレンドに誘われて大学のパーティーに行き、美術商だった最初の夫ジョン・ダンバーに出会う。
17歳でいわゆる“出来ちゃった婚”をして、1963年の11月に長男ニコラスを出産。
夫は美術商ということもあり幅広い人脈を持っており、その中にローリング・ストーンズのマネージャーを担当していたアンドリュー・オールダムがいた。
アンドリューは彼女を見て「この容姿なら売れる!」と確信し、ミック・ジャガーとキース・リチャーズに曲を作るよう指示。
翌1964年に、ミックとキースが手がけた楽曲「As Tears Go By(涙あふれて)」で、に歌手デビューを果たす。
その後、ジャン=リュック・ゴダールに見出されて映画デビ..