時代を超えて現在を撃つメッセージと演奏~スーパー・ジャンキー・モンキー
1993年11月、CBSソニーで国内新人発掘部門を担当していたミュージック・マンの野中規雄は、ニューヨークのライブハウス「CBGB」に来ていた。
ラモーンズやテレヴィジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズなど、パンクに影響を受けたバンドが出演していたことで知られるCBGBに野中が足を運んだのは、日本で行われたオーディション優勝者に与えられた副賞だった「CBGBで演奏できる権」の立ち合いのためだ。
アメリカのインディーズ・バンドによる街フェスとして始まった「CMJミュージックマラソン」に、日本から参加していたのはオルタナティブ・ロックの4人組、SUPER JUNKY MONKEYである。
地元インディーズ・バンドに混じっての出演だったこともあって、 前のバンドが終わると観客たちは引き上げ始めた。
スーパー・ジャンキー・モンキーのメンバーたちがセッティングを始めるのを見て、まるで期待できないバンドだと思ったに違いない。
ちっこい東洋人の娘っ子を見た客がゾロゾロ帰り始めた。
そこにKeiko のギター!(ビースティーボーイズより凄い)
まつだっっ!! のドラム!(男だか女だかわからんパワー)
大音量に客が続々と戻ってきて最後は大盛況。
ほとんど満員になった客が踊りまくり暴れまくった!
その日のライブが終わったとき、偶然に来ていた3大メジャーのレコード会社キャピトルのA&Rから、「ぜひ、うちと契約してくれ」と野中は申し込まれた。
CBSソニーの契約アーティストだったので、「CBSで決まっている」と断ったが、内心ではいけるという手応えを感じていた。
それだけではなかった。
プロモーターからも、「KISSのオープニングをやってくれ」という誘いが来たのである。
この申し出を野中は喜んだが、「キッス(KISS)!? だっせー!」とメンバーから反対されて断らざるを得なかった。
野中はこのとき、ミュージック・マンならば誰もが一度は思い描く夢、日本のロック・バンドをアメリカに送り込んで成功させるという物語に、間違いなく一歩近づいたことを実感していた。
後にこう回想している。
「このバンドの未来がバラ色に見えた瞬間だった」
1991年にMUTSUMI623(Vo)、KEIKO(Gt)、かわいしのぶ(Ba)、まつだっっ!!(Dr)の4人によって結成されたスーパー・ジャ..