ライトスタッフ〜英雄になった7人の宇宙飛行士と荒野の大空で宇宙を垣間見た独りの男
宇宙がまだ見ぬ未知の光景だった頃。1957年10月、ソ連は遂に人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。これを機に宇宙開発の幕が切って落とされた。そしてその一ヶ月後には、ソ連は早くも犬を乗せて2号を打ち上げ。
この立て続けの事態に一番衝撃を受けたのは、言うまでもなくソ連と冷戦状態にあったアメリカだった。“鉄のカーテン”の中の出来事を現実として受け入れざるを得なかったアメリカは、本格的な宇宙開発に取り組むべく1958年10月にNASAを設置。翌年には宇宙飛行に相応しい人材探しを始める。こうしてカプセルに人間を入れて宇宙に打ち上げるという、有人衛生計画「マーキュリー計画」が発表された。
これは軍事的レベルのプライドだ。「宇宙を制する者が世界を制す」。ソ連にこのまま先を越されてはたまらない。アメリカは躍起になって計画を進めた。飛行の候補に上がったのは、アクロバット芸人やサーファーなどの超越した体力の持ち主。冗談のようだが本当の話だ。最も適していたとされる空軍のテストパイロットたちは「無謀」「反抗的」という理由で当初は敬遠されていた。
だが、そんな綺麗ごとなど言ってられない。結局「マーキュリー計画」には奇妙な適性検査や過酷な訓練を経て、テストパイロットたちを含むプロの先鋭たちが選出された。アラン・シェパード(海軍)、ガス・グリソム(空軍)、ジョン・グレン(海兵隊)、ドナルド・スレイトン(空軍)、スコット・カーペンター(海軍)、ウォルター・シラー(海軍)、ゴードン・クーパー(空軍)ら、アメリカ初の7人の宇宙飛行士たちが誕生したのだ。
1961年1月、ケネディ新大統領が就任。“偉大なるアメリカの創造”が早急に求められていた時期。7人にはTVや新聞の報道の影響もあり、国民的ヒーローとして過剰な期待が寄せられる。一方で肝心のロケット自体の発射は爆発続き。不安な状況の中、7人は「実験室のネズミ、チンパンジー」と揶揄されながらも、“従順なるクルーカットのロボット”から脱却する。
1961年5月、ソ連のガガーリンに続き、アメリカのアラン・シェパードが宇宙に旅立つ。アランは国家的英雄に祭り上げられ、パレードや表彰、ホワイトハウスでの会食に招かれた。だが、ゴードン・クーパーによれば、偉大な開拓者は別の場所にいるという。その名はチャック・イェーガー。彼こそ自分が憧れる真のパイロットなの..