聴いてくれる人の心の中に絶叫をかきたてる遠藤ミチロウの「カノン」

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撮影・三浦麻旅子

愛知県豊橋市の「ハウス・オブ・クレージー」で2011年9月4日(日)、友部正人と遠藤ミチロウのライブが行われた。
友部がその日のことを、公開している日記にこう記していた。

1年9か月ぶりの豊橋、今回は遠藤ミチロウとのジョイントでした。
最初にミチロウが歌いました。客席でぼくも聞いていたのですが、ミチロウを信頼しきったような一人の青年の表情が印象的でした。
ミチロウの後ぼくが1時間歌って、アンコールでは二人で「一本道」と「カノン」を歌いました。久しぶりのミチロウとのライブ、だけどいつから久しぶりなのかぼくは覚えていなくて、ミチロウから「だいじょうぶ?」と言われましたが、実は3年ぶりでした。
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二人の出会いは1970年代の前半、ミチロウが山形大学の学生だった頃にまでさかのぼる。
ミチロウは一部の学生たちの間で、よく知られる存在であったようだ。
当時は60年代のアングラやカウンターカルチャーの影響で、各地でハプニングと呼ばれる行為が流行っていた。
突然に起こす非日常的な行動によって、日常の中に眠っている意識を目覚めさせようとする試みである。
ミチロウも大学のなかで体に包帯を巻きつけて走るような、ハプニングをしたことがあったという。
それが後のスターリンの過激なライブにまで、そのままつながっているのかもしれない。
山形県東村山郡出身のシンガー・ソングライターで俳優の峯田和伸(銀杏ボーイズ)が、2016年に行われた対談のなかで、若い頃に父親から聞かされた話として、ミチロウにまつわるエピソードについて語り合っていた。
峯田:うちの親父が、“山形大学に遠藤っていうすごいのがいた”って当時、結構俺に言ってたんですよね。あれ、ミチロウさんのことですかね?
遠藤:多分、遠藤だったらそうだろうね(笑)。
峯田:言ってましたよ、うちの親父もバンドやってたんで。GSのバンドをやってたんで、好きだったみたいですよ、色んな音楽とか。
遠藤:あぁ〜。
峯田:大学に遠藤って奴がいて、企画とかして友部正人とか色んな人を呼んで、って。
遠藤:あぁ、うんうん、そうそうそう。

(遠藤ミチロウ×峯田和伸(銀杏BOYZ)『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』トークイベントの全貌をレポート!)https://33man.jp/article/000650-2.html
孤高の詩人とも呼ばれる友部正人はミチロウと同じ1950年生まれだが、全国各地を転々として過ごした後にボブ・ディランの影響で、高校卒業後に自作自演で歌い始めて注目を集めた。
そして1972年にアルバム『大阪へやって来た』でURCからレコード・デビューしたが、その年に出したシングルの「一本道」で発見されていく。
「ああ 中央線よ 空を飛んで あの娘の胸に突き刺され」という歌詞は、日本中の若い音楽ファンの胸に突き刺さったのである。
そのなかには山形大学の学生だったミチロウもいたはずだ。



友部はそれ以降、名作と評価されたアルバム『にんじん』を皮切りに、コンスタントにオリジナル・アルバムをリリースし続けて、現在にまで至っている。
また詩集、エッセイ集など著書も数多く刊行し、日本の代表的な詩人を網羅した詩集シリーズである現代詩文庫(思潮社)から、「友部正人詩集」が2006年に出版された。
1950年福島県生まれのミチロウは1974年に山形大学卒業後、1年間ほど東南アジアを放浪して帰国し、山形でコンサートを企画するなど音楽の裏方にいた。
だが、急に歌おうかなって思って歌い出し、上京して雌伏の期間を経た後の1980年に、パンクバンドのTHE STALINとしてメジャーデビューした。
ミチロウが東京に出てきてまもない頃の様子を鮮やかに描いた文章が、「ジュークボックスに住む詩人」という友部の著書に残されていたので紹介したい。

ぼくには明るい太陽とぶどう畑の記憶がある。というのは昔、遠藤ミチロウが国立市のぶどう畑の中のアパートに住んでいたからだ。彼がスターリンを結成するより、ずっと前の話である。ぼくはまだ吉祥寺に住んでいた。彼は国立から、ほっぺたにぶどう畑のしずくをつけたままで、吉祥寺まで遊びに来ていた。ぼくと一緒に歌ったり、リコーダーを吹いたりしていた。


ミチロウが主催した山形でのライブ以来 二人が再会したのは渋谷のライブハウス「アピア」だった。だが友部は当時のことは、ほとんど憶えていなかったという。

一九七八年に、渋谷にあるアピアという小さな店で、一ヵ月間のタイプをやったことがある。そのとき、店の主人から紹介されたのが遠藤ミチロウだった。彼は調理場の前の暗がりで「電動コケシ」や「てんぷら」や「カノン」をもの悲しく歌った。「電動コケシ」は、浅草の大人のオモチャの店でアルバイトをしているとき作った歌だという。ぼくが初めて会ったそのときは、花屋でバイトをしていると言っていた。うつむき加減の彼の歌の中には凶器があった。「カノン」の中に出てくる金魚こそ、遠藤ミチロウの歌の中にある凶器そのものだと思った。



ボクは今日 ふたのついた ビンの中で泳ぐ
玉虫色の光をキラリキラリさせながら
腹を出し 尾っぽを流して 泳ぐ赤い金魚
フラリ フラリ フラリ フラリ
泳ぐことは頭をぶつけることだ
見ているあなたに痛さはわからないだろう
ボクは上へも下へも行かないところで
まるであなたの知らないところで泳ぐ赤い金魚
フラリ フラリ フラリ フラリ
七色に懐れた光の中では
冷たい水と硬いガラスの優しさに恥しくなって
こんなに真っ赤になって泳いでいるのです
フラリ フラリ フラリ フラリ

初めて「カノン」を聴いてから10年以上の歳月が過ぎた1991年の夏、友部正人は久しぶりにスターリンのライブを見に行った。
そしてミチロウが弾き語りで披露した「カノン」を聴いて、このように述べている。

この歌は、聞いている人の心の中に、絶叫をかきたてる。昔ミチロウはこの歌を歌うたびに、おしまいの部分に来ると絶叫していた。ミチロウの絶叫がまだぼくの心の中に残っていて、いつもかすかに共鳴をくりかしているような気がする。だからぼくはきっと、この「カノン」を聞くたびに誰かの絶叫も聞いてしまうのだ。ミチロウがかきたてる絶叫は、ぼくの心をかきむしる。そこがミチロウのすごくいいところだと思う。


聴くものに絶叫をかきたてるのは遠藤ミチロウという歌手の力であるが、それと同時に歌詞の力でもある。
柔いふくらんだ 腹の中には
黒づんだ 緑のフンが所狭しと詰められて
一日に数センチの悲しさ しぼり出し
この透き通った水をよごしよごし泳ぐのです
あーもう嫌だ!と思うことだけが
こうしていれる力なのです
だからボクを「アイシテル」と言うのなら
このビンを手に取って
あの硬いコンクリートの壁にたたきつけて下さい
フラリ フラリ フラリ フラリ
フラリ フラリ フラリ フラリ
ボクは今日 ふたのついた ビンの中で泳ぐ金魚

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