美輪明宏 27歳〜日本初となった“奇跡のリサイタル”その成功までの道

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1962年、当時27歳だった美輪明宏(当時・丸山明宏)は“日本初”となる全オリジナル楽曲による自主公演を計画し、その準備のために奔走していた。
そして翌年の11月8日、希代の作曲家・中村八大らの協力により“奇跡のリサイタル”を見事に成功させる。
美輪にとってこの時期こそが、日本の“元祖シンガーソングライター”と呼ばれるようになる、まさにターニングポイントだったといえる。
さかのぼること5年…1957年、美輪は22歳の若さでフランスのシャンソン曲「メケ・メケ」を日本語でカヴァーし一躍人気者となった。
元禄時代の小姓衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツ等を身に纏いユニセックスファッションと、三島由紀夫が“天上界の美”と絶賛した美貌で、マスコミから「神武以来の美少年」「シスターボーイ」と評され一世を風靡する。
「メケ・メケ」で騒がれた時期は1年程で沈静化。
この頃、美輪は週刊誌で自身が同性愛者である事を公表する。
さらに、従来のシャンソンのイメージにない自ら和訳した生々しい内容の“美輪流シャンソン”を歌ったことを好ましいと思わない保守的な人間からの反発もあり、美輪の人気は急落してゆく。
そんな逆風の中、美輪は本格的に作詞作曲活動をスタートさせる。
今もって美輪の主要なレパートリーとなっている「ふるさとの空の下に」「兄弟」「金色の星」「うす紫」などの作品は、この頃に作詞作曲したものだという。
しかし、その活動は当時の聴衆からも歌謡界からも理解を得られず、レコード化すらできなかった。
当時、家族・兄弟たちを美輪が一人で養わなければならないという“どん底”生活を送りながら…自身も吐血などの原爆症に悩まされ始める。
美輪曰く「人様の情けに生かされた」まさに不遇の時代を、24歳、25歳…そして26歳と過ごす日々の中で、自作の楽曲を次々とストックしていった。
美輪は、当時のことを自叙伝の中でこんな風に振り返っている。
ナイトクラブやキャバレーなどの仕事の時も、自分の作品を1〜2曲混じえて歌うことにする。
聴き慣れたシャンソンを聴かされているときは、静まることもなかった客達が、「兄弟」や「ふるさとの空の下で」などを歌うときには、シーンと静まり返って涙ぐんで聴いてくれた。
もちろん銀巴里をはじめ、シャンソン喫茶やステージの際にも発表することにしていた。
するとリクエストがシャンソンよりも、僕の作品の方が多くなってきた。
そのため新しい客がどんどん増えていってどこも超満員になる。
日本人は日本語で歌う“日本人の生活感情”から出てきた歌を待っているのだ。
僕は、色が同じものに固まらぬよう気を配って種々な型の詩や曲を作っていった。
曲数はどんどん増えていった。
僕は「メケ・メケ」のデビューとき「これで僕の歌も駄目になる」と言って僕に愛想つかしていた古い友人の中村八大に作品を持っていった。
彼は「本当にこれ全部、君が作ったの?」と驚いていた。
そしてこう続けて僕を励ましてくれた。
「これだけの曲を作る人は、そうざらにいないし、これならば大丈夫、自信を持っていいよ。僕が太鼓判を押すよ。僕が出来ることがあれば及ばずながらいくらでも協力するよ。」
早速、僕は全曲“自分の曲だけで”リサイタルを演ることに決めた。
しかし、編曲や指揮を頼んでも、金のことまでは頼むわけにはいかない。
武士は食わねど高楊枝だ。
はじめから終りまで自分の作詞作曲だけで全曲を通すリサイタルは、日本で初めての試みだった。
一部は軽いジャズっぽもので伴奏は秋満義孝クインテット。
二部は邦楽色の濃いもので、能富治彦さんの尺八をはじめ琴や十七弦。
三部はドラマティックなもので、中村八大指揮で八十名のオーケストラと十二名のコーラス。
プログラムも思いきって豪華な印刷にした。

とはいえ、このリサイタルを開催するにあたってすべてが順風満帆だったわけではない。
資金面、宣伝や集客…心配ごとは尽きなかった。
美輪が、知り合いのプロダクションに助っ人を頼むと、初めは「いいですよ」と返事をしてくれたものの、リサイタルの内容を説明するや否や、あまりにも大がかりなプログラムに驚いて「もしも失敗したならば暖簾にかかわる」と、手を引かれた。
そんな中、古くからの友人たちが「経済的には何も力になれなくて申しわけないけど、他のことだったらどんなことでもお手伝いさせてもらいますよ」と、美輪の周りに集まってきてくれたという。
美輪もそれに応えるべく、ポスター・チラシの打ち合せや印刷屋との値段交渉、会場の設備や経費の準備、編曲の打ち合せ、演出構成、歌の練習と、出来ることはすべて一人でやり遂げた。
チケット売り、ポスター配りは、そんな美輪を応援する仲間たちが総動員で協力してくれた。
そして、いよいよリサイタルの当日を迎える。
美輪は「運を天にまかせて、あとはただ自分自身が全霊を傾けて歌うだけだ」と覚悟を決めていた。
楽屋で準備をしていた美輪のもとに、一人の友人が飛び込んで来てこう叫んだ。
「奇跡が起こったよ!ガラガラだったのが、いきなり当日売りの客が並んで売り切れそうだよ!」
美輪は眼を閉じた────そして幕が上る。
一部、二部、三部と、満員の客を前にしてプログラムの最後の曲となった。
美輪の実体験にも似た原爆孤児の歌「ふるさとの空の下に」を、中村八大の指揮するオーケストラが壮大に盛り上げてゆく。



美輪は「いけない、いけない」と、主義に抗いつつも…涙がとめどなく溢れ出すのをどうすることもできなかったという。
割れんばかりの拍手と共に幕が降りてゆく。
美輪は心の中で、こうつぶやいたという。
皆さんにわかってもらえた。
これでよかったのだ。
金のことなど何だ。
この感動。
こんな素晴らしい勝利は金などには代えられないものなのだ。

すべてのプログラムを終え…万雷の喝采を一身に浴びる美輪。
ステージ上で力強く握手を交わした中村八大の目も潤んでいた。
美輪はその涙にすべての言葉を感じ、ありがたく受け取った。
終演後の楽屋は人、人、人の波で凄まじかった。
その中をかきわけて、作家の三島由紀夫が美輪に駆け寄ってきて一言。
「これこそ歌だよ!」
リサイタルを終えた夜、家でささやかな打ち上げの会を開いた美輪は、中村八大をはじめ、善良な友人たちに囲まれながら…生きていることの嬉しさを、しみじみ感じたという。
そして、明け方になって眠りにつく前に美輪は寝室の天井を見上げながらこうつぶやいた。
「さあ、これからだ。今日の赤字の返済がある。頑張らなくちゃ!」
美輪明宏が27歳で計画した“一つの夢”は見事に叶えられた。
それは何かの到達点ではなく…未来への扉が開かれた夜だった。
その“扉”は、現在の邦楽へと繋がってゆく奇跡の扉でもあったのだ。
そして翌1964年、美輪はあの「ヨイトマケの唄」を初めてステージで披露することとなる。
<引用元・参考文献『紫の履歴書』著者:美輪明宏(水書房)より>
美輪明宏『BRAVA DIVA MIWA』

美輪明宏『BRAVA DIVA MIWA』

(2013/キングレコード)

美輪明宏『紫の履歴書』

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