スーパースターの沢田研二による膨大なる音楽映像の記録

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日本のエンターテイメントビジネスにおいて、レジェンドと呼べる存在として筆頭にあげられるのは、1971年のソロ・デビューから50周年を迎えた沢田研二だろう。
彼はソロになる前、GSのザ・タイガースの時代から「ジュリー」の愛称で呼ばれて、若い女性の間では圧倒的に人気があった。
それから日本のエンターテイメント界において、50年間にわたってトップの座を維持しながら、休むことなく活動し続けてきたスーパースターである。
4月28日に発売されたソロ・デビュー50周年記念DVD BOX『沢田研二 TBS PREMIUM COLLECTION』を観ると、彼が成し遂げて来た活動の記録があまりにも膨大で、そのことに圧倒された。
7枚のDVDには合わせて488分、およそ8時間の映像作品が収録されていたのだ。


『8時だョ!全員集合』や『ザ・ベストテン』などの人気番組から、久世光彦がプロデュースした伝説の『セブンスターショー』、『キラリ・熱熱CLUB』などに出演した地味だが味わい深い映像、『そして毎年のように緊張を強いられた日本レコード大賞』での映像を観てわかるのは、完璧なプロフェッショナルとしての仕事ぶりであった。
常に全身を使って表現に挑む姿と真摯な心構えからは、華やかなオーラを放ちながらも、このうえもなく誠実な人物であることがわかった。
京都のバンドだったファニーズが渡辺プロダクションと契約し、1967年の2月に「僕のマリ―」でレコード・デビューしてスターになった時から、沢田研二は若い女性ファンの熱い視線をあつめていた。
しかしソロになってからは、次第に大人の男性からも注目されるようになっていった。
それはTBSの演出家だった久世光彦や作詞家の阿久悠、映画監督の長谷川和彦などのクリエイターたちが、それぞれに時代を表現するアーティストとして、沢田研二が醸し出す不思議な魅力に気づいたからだった。


ソロになって50年を迎えた2021年の春、週刊文春の4月15日号では3週にわたって、ノンフィクションライターの島崎今日子氏による連載『沢田研二を愛した男たち』が掲載された。
その書き出しはこんなふうにして始まっていた。

1960年代後半から80年代初頭。音楽やファッションが革新を遂げ、サブカルチャーが花開き、BLが生まれる。その中心には必ず彼がいた――。


BLは和製の英語で「boys’love(ボーイズラブ)」とは、男同士の愛を描く小説や漫画などで、女性向けの商品を指している。
日本では2016年暮れにテレビ朝日で放送された『おっさんずラブ』が、ブームの契機となったという。
島崎氏は連載のなかで、こんな文章も書いていた。

BLは一九七〇年代の日本で、終焉を迎えた全共闘運動と入れ替わるように登場し、 自分たちの表現を求めた天才少女漫画家たちによって誕生した。萩尾望都、竹宮恵子、山岸凉子ら昭和二十四年前後に生まれた、「花の二十四年組」の描く男同士の愛や絆は、少年愛と呼ばれて店 少女たちに熱狂的に迎えられていく。


そんな時代の1975年にオンエアされたテレビドラマが、沢田研二の魅力を最大限に引き立てるべく企画された『悪魔のようなあいつ』だった。
テレビドラマ『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』のヒットで、飛ぶ鳥を落とす勢いのプロデューサー兼演出家だった久世が、時代の寵児になっていた沢田研二に惚れ込んで、異端の連続ドラマを企てたのである。
それまでにないドラマを作ること目指した久世は、まず作詞家の阿久悠とともに主題歌をつくることから始めた。
もちろん沢田研二に歌ってもらうつもりであった。
けだるさを秘めた頽廃的な美しさに魅せられていた二人は、「色っぽい歌を作りたいね」と意見が一致し、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが主演したハードボイルド映画『カサブランカ』のテーマ曲、「As time goes by(時が流れようとも)」からのいただきで、「時の過ぎゆくままに」というタイトルを決めた。
そこから阿久悠が書きあげた歌詞に、6人の作曲家が曲をつけてくれた中から、大野克夫の曲が選ばれた。


それと同時に沢田研二が扮する美青年にまつわる物語が、東京府中市での3億円強奪事件を参考にして組み立てられていった。
セントジョージ孤児院で育った孤児という設定の可門良が、実は3億円事件の真犯人であり、奪った3億円とともに時効が訪れるのを待っているというドラマである。
藤竜也が演じる野々村が経営するクラブで、淋しげに「時の過ぎゆくままに」を歌っているクラブ・シンガー役の可門良は、たしかに沢田研二のイメージときれいに重なった。
すべてのドラマが主人公の妖しい魅力の上に成り立っているドラマを、久世はこのように規定していた。

「彼は刃物のように危険で、氷のように酷薄で鋭く、だからこそ甘美なロマンの国へ入れるライセンスを、たったひとり許されて持っている美しい青年である」


しかし長谷川和彦がテレビドラマとして脚本を書いて久世が監督した『悪魔のようなあいつ』は、正面から同性愛をテーマとして取り上げて、劇中にベッドシーンやレイプがあったことで、過激な内容に対して賛否両論が寄せられた。
その結果、ヒットメーカーの久世にしては視聴率も伸びず、期待されたほどの成果が得られずに終わってしまった。
だが70年代なかばの空虚な時代を見事に映し出したことで、テレビでのオンエアが終わってから、一部の人たちの間で熱狂的に語り継がれて評判になった。
主題歌の「時の過ぎゆくままに」は大ヒットし、それまでの沢田研二のシングルのなかで最高の売上を記録した。
ここから大きく飛躍した沢田研二は、エンターテイナーとして己の道をさらに究めていく。
ライブはもちろんだが、テレビ出演の時にも井上孝之バンドがサポートとして、いつも行動を共にしてくれた。
なかでも1970年代の空気を時代とともにとらえた音楽情報番組『ザ・ベストテン』の映像は、毎回のようにセットが変わっても音楽のクオリティは保たれていた。
そこからはロックバンドとともにステージに立つシンガーの充足感も伝わってきた。
テレビ出演の際にバンドによる編曲と演奏にこだわってきたことは、沢田研二なりの筋の通し方であったのだろう。
そのことは膨大な数になった別ヴァージョンをの映像を体験してみたことで、ようやく理解することができた。
バンドが楽器をセッティングしてリハーサルを行い、本番の3分半から4分ほどの時間に全力を注ぎ込む。
待ち時間と拘束時間が多くなるので効率は悪いし、経済的にも負担は大きい。
それでも自分の音楽をベストの状態で視聴者に届けるために、沢田研二はその方法を曲げなかった。
井上孝之バンドが1980年に解散した後になっても、ALWAYSやEXOTICS、CO-CoLO、Jazz Masterと、沢田研二はバンドを引き連れて活動していく。
アーティストとしての矜持が、すべての作品に貫かれていたのである。

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