マディ・ウォーターズを偲んで〜伝説のブルースマンと呼ばれた男の偉大な功績と足跡
ロックンロールの創始者と言われたあのチャック・ベリーは、生前にこんな貴重なエピソードを語っている。
それはまだ彼が世に出る前(デビュー前)の出来事だったという。
「ある日俺は新車の遠乗りがしたくなって、シカゴに親戚がいるという友達のラルフと2人でシカゴへとドライブしたんだ。ラルフの親戚の家でご馳走になった後、俺達はシカゴのサウスサイドのブルースの生演奏が聴けるクラブをハシゴしてまわった。そこでハウリング・ウルフ、エルモア・ジェームスのステージを観たんだ。とても感動したし!興奮して聴き入ったよ!そして、今度は憧れのマディ・ウォーターズが出演するクラブへ行ったんだ!マディは最後のセットのラストナンバー“Got My Mojo Working”を演奏中だった。演奏が終わると群がるファンをかきわけ、マディのサインを貰うために突進してくれたラルフのおかげで、俺はマディと口をきくチャンスができた。大統領か法王にでもお目どおりするような気分だった俺は、曲の素晴らしさを褒めた後、単刀直入に“レコードをつくるにはどうすればいいのか?”と訊いてみた。大勢のファンが声をかけようとひしめく中で、マディは俺の質問に答えてくれたんだ。“レナード・チェスに会ってみろ!そう47丁目とカテッジの角にあるチェスレコードさ!”俺に音楽を愛することを教えてくれた人。俺の音楽に最も大きな影響を与えた人。それがブルース界のゴッドファーザー、マディだ!」
マディ・ウォーターズから“人生を変えるアドバイス”をもらったチャック・ベリーは、その直後にブルースの名門チェスレコードとの契約を結びレコードデビューを果たす。
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズもまた、あるインタビューでこんな貴重なエピソードを語っている。
「1964年、チェススタジオでレコーディングした時の話さ。白いオーバーオールを着てハシゴに乗っかってるおっさんを紹介されたんだ。誰だ?ってその顔を見たら、マディ・ウォーターズだったのさ!なんと!あのマディ・ウォーターズが俺達のスタジオのペンキ塗りをしてたんだぜ!どうやらチェスじゃレコードの売れない奴はどんな仕事でもしなきゃいけないようだった。俺達が何曲もカヴァーして神様だと思っている男が天井にペンキを塗ってるんだぜ!」
マディ・ウォーターズ。
1915年4月4日、ミシシッピ州ローリング・フォー..