ファッツ・ドミノ〜“ロックンロールの創始者の一人”と言われた男の偉大な功績と足跡〜
それはローリング・ストーンズがまだデビューして間もない頃の出来事だった。
ある日、ミック・ジャガーは歌詞が聞き取りにくいというリスナーからの苦情を受ける。
それに対してミックは得意気にこう答えたという。
「それでいいんだ!俺はファッツ・ドミノの歌を聴いて独特のサウンドを習得したんだ!」
後日、あるインタビューでそのエピソードを聞いたファッツはこんな風に答えた。
「奴がどうしてそんなこというのかわからんな。俺はいつも客にわかってもらえるように演っているつもりだ。聴こえんようなやり方などしちゃいないぜ!歌詞を聴いてもらいたいからな。マイクの調子が悪いってこともあるかもしれん。ああ、きっとそうだ!」
そうい言って、すぐにマネージャーに電話したという。
「マイクの調子をちゃんと調べといてくれよ。」
ファッツ・ドミノ。
1928年2月26日 、ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれた彼の本名はアントワーヌ・ドミニク・ドミノ。
彼はストライド奏法とブギウギの影響を受けた独自のピアノ演奏スタイルで、白人からも支持された黒人ミュージシャンだ。
愛嬌のある笑顔、軽やかに鍵盤を叩く指先、甘く親しげな声…その巨体を揺らしながら奏でるブグウギのリズムで“ロックンロールの創始者の一人”と言われた男である。
代表曲と言えばエルヴィス・プレスリーがカヴァーした「Blueberry Hill」や「Ain’t That A Shame」「Walking To New Orleans」「I’m Walkin’」「Blue Monday」など多数あり、ミリオンセラーになった楽曲は実に23曲にも及ぶ。
RIAA(全米レコード協会)の統計によれば、1970年代の終わりまでの彼のレコード売り上げ枚数の累計はエルヴィス、ビートルズに次ぐ第3位だという。
この記録からも、彼の人気が黒人層やマニアックな一部の白人愛好家たちだけに限定せずに、全米のお茶の間レベルにまで浸透していたことが良くわかる。
彼は21歳を迎えた1949年にインペリアルレコードから「Detroit City Blues」でデビューを果たす。
B面に収録された「The Fat Man」が、いきなりR&Bチャート2位の大ヒットを記録し、彼の名はまたたく間に全米に知れ渡ることとなる。
そんな彼の成功を語るにあたって忘れてはいけない男がいるとい..