ダン・フォーゲルバーグを偲んで〜アメリカで最も美しい詩を書くSSWの一人と言われた才人の足跡
2007年12月16日、1970年後半~1990年にかけアメリカで最も美しい詩を書くシンガーソングライターの一人と言われた才人、ダン・フォーゲルバーグ(享年56)がメイン州の自宅で逝去した。
死因は前立腺癌と発表された。
彼は多重録音を得意とし、ギター、キーボード、コーラスなど、すべてを一人でこなすそのスタイルから“一人CNS&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)”と、呼ばれていた孤高のアーティストである。
叙情的な歌詞と温かみのある歌声で人気を博した彼は、ジェームス・テイラー、キャロル・キング、ジャクソン・ブラウンらと並んで“シンガーソングライター黄金期”を築き上げた音楽家の一人だった。
イーグルスのメンバーをはじめとするウエストコーストの著名なミュージシャン達との親交も深く、1974年発表の2ndアルバム『Souvenirs(アメリカの想い出)』をジョー・ウォルシュ(1975年からイーグルスにギタリストとして加入)がプロデュースしたことによって彼の名は広く知られることとなる。
1951年8月13日、彼はイリノイ州ピオリアで生まれた。
ミュージシャンだった両親の影響で、彼は幼い頃から音楽に親しみ、クラシックピアノを習う傍らスライドギターも独習するなどして楽器に擦れることが日常だったという。
高校時代にはビートルズのコピーバンドを組み、しだいに自作の曲を作るようになった彼は、シンガーソングライターになることを夢見て地元のコーヒーハウスやクラブなどで歌うようになる。
ある日知り合ったアーヴィン・エイゾフ(後にイーグルスのマネージャーとなる男)と共にロサンゼルスへ行き本格的に音楽活動をスタートさせる。
当時ミュージシャンの登竜門と言われていたトルバドールにも出演し、ヴァン・モリソンの前座を務めたこともあったという。
しかし、なかなかチャンスを掴めなかった彼らはナッシュビルへと向かう。
そこでノーバート・パットナム(プロデューサー)と出会い、念願の1stアルバム『Home Free』(1972年)を発表するものの…セールスは振るわなかった。
その後、ロサンゼルスに戻りセッションミュージシャンとしてイーグルスなど同世代の数多くのミュージシャンとのスタジオワークを経験しながら、彼は自身の音楽性に磨きをかけてゆく。
常に行動を共にしていたアーヴィン・エイゾフは彼を売..