沢田研二の「危険なふたり」が発売された日
今日まで二人は 恋という名の
旅をしていたと 言えるあなたは
年上の女 美し過ぎる
あゝあゝ それでも 愛しているのに
1973年(昭和48年)4月21日、沢田研二の6枚目のシングル「危険なふたり」(ポリドールレコード)が発売された。
同年の国内ヒットチャートといえば…
1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ
2位「女のねがい」/宮史郎とぴんからトリオ
3位「学生街の喫茶店」/ガロ
4位「喝采」/ちあきなおみ
5位「危険なふたり」/沢田研二
6位「神田川」/かぐや姫
7位「心の旅」/チューリップ
石油ショックによる物価急上昇、トイレットペーパーや洗剤などの買いだめ騒動、日本電信電話公社が電話ファックスサービスを開始、ノストラダムスの大予言が出版され、オセロゲームが流行した年でもある。
リリース直後にはオリコンチャート1位を記録した「危険なふたり」。
ソロ名義のシングルとしては、初の首位獲得となった。
クレジットには作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦、編曲:東海林修の名が記されている。
この曲の歌詞に登場する“年上の人”とは誰のことなのか?
当時は結婚前だったザ・ピーナッツの伊藤エミ(7歳年上)という説もあったが…
これはまさに作詞家自身(9歳年上)だったということを、安井本人が明かしている。
当時、熱愛中だったジュリーを助手席に乗せて車で走っていたとき、浮かんだ詞だったという。
ZUZUの愛称で知られ、お洒落で“時代の最先端”を行く女性だった安井かずみ(1977年に加藤和彦と結婚)は、自身の著書にこんな記憶を綴っている。
ジュリーのために作詞をしてから、もう何年になるでしょうか…
ジュリーの歌詞を書きながら、ジュリーの歌を聴きながら、音楽の世界を歩き続けて来たのは。
その過程に、彼の音楽意識が前後左右したりすることはあっても、必ずどこかで一体感、連帯感が持てるのです。
ジュリーの音楽に対する姿勢に、いつも感動と拍手をしてしまうのです。
ボブ・ディランを除いて、殆どの世界中のアーティストのステージを見て来ましたけれど、日本でジュリーのステージを見られる私たちは最高に倖せだと思います。
本当に彼のステージは素晴らしいのです。
海外渡航が珍しかった1960年代に、ヨーロッパの上流社会の暮らしを経験し、イヴ・サンローランのオートクチュールを着こなしていた..