ライ・クーダーという風景〜スライドギターの旅愁
そのギター弾きは、ずっと風景の中に生きてきた。
デビュー以来、彼は一貫して商業主義に惑わされることのない不屈の音楽を録音し、人々の前で演奏してきた。「僕の人生は常に探求の連続だった」と言うように、葬られそうだった偉大な本物の音楽を追い求め、本やレコードでしか知ることのできなかった幻のミュージシャンを訪ねて直接学び取った。
美しい音楽、古い音楽、珍しい音楽を追い求める旅。それが自らの音楽に吸収されて表現できるようになった瞬間に、“ライ・クーダー・ミュージック”は完成する。そう、あの赤いグレッチや茶色のストラトキャスターを滑るスライドギターやフィンガーピッキングと共に聴こえてくる唯一無比の音楽。
音楽を旅する──この言葉がこれほど似合う男は他にいない。南部の田舎町や港町、国境沿い、太平洋の島、南米や沖縄まで、その旅は世界中を駆け巡ってきた。中でもハワイのギャビー・パヒヌイとバハマのジョセフ・スペンスには強く感銘を受けたという。素晴らしい音楽である以上に、彼らの老いても益々良くなっているという目の前の絶対的な事実に勇気づけられたのだ。
1947年生まれのライ・クーダーは13才でブルーズと出逢った。ロバート・ジョンソンのLPが初めて発売(発掘)された頃、デルタ・ブルーズとスライド奏法に取り憑かれた。15才でプロのミュージシャンとなると、スタジオでのセッション仕事の日々を過ごす。
そして1969年にはストーンズの『Let It Bleed』の録音に参加。共鳴して美しく響くライのオープンGチューニングに、キース・リチャーズが圧倒されて“盗んだ”のは有名な話だ。もしこの場がなかったら、ストーンズは史上最高のR&Rバンドにはならなかっただろう。
1970年に初のソロ作をリリース。1980年代前半までほぼ1年に1枚のペースで、音楽の旅の成果を録音し続ける。どのアルバムも土地の風や土埃、匂いが漂う味わい深い作品だった。戦前ブルーズ、ケイジャン、ゴスペル、テックスメックス、スラックキー・ギター、ビバップ、R&B……さすらいの旅はまだまだ続けられると思っていた。
しかし、現実は違った。ライのアルバムはすべて合わせても数十万枚しか売れていなかった。まったく金になっていなかったのだ。クレジットカードのキャンセル、電話とガスと水道も止められそうになったこともある。
僕の旅は様々なものを失ってい..