音故知新③〜こうしてR&Bが誕生した
今回の音故知新は、R&B(リズム・アンド・ブルース)のルーツに迫ります。
このジャンルは時代と共に洗練され、進化も著しく、その特徴を一言で言い表すのは難しい。
R&Bといえば、後に発展するロックンロールなどにも多大な影響を与え、現代でも様々なアーティスト達が“表現(パフォーマンス)の基礎”としている音楽ジャンルである。
黒人系大衆音楽として今や世界中で愛されているこの「R&B」という呼称は、ビルボード誌の編集者だったジェリー・ウェクスラーというユダヤ系白人の男によって作り出されたといわれている。
後にアトランティックレコードの経営者となるウェクスラーがこの呼称をつけるまでは、一切の黒人音楽は「レイスミュージック」と呼ばれていた。
1920年代のブルースのレコードにはレイスミュージックと記されており、その他ジャズやゴスペルなども含めてあらゆる黒人音楽がそのように呼ばれていたのである。
それまではビルボード誌でも黒人音楽のチャートを“レイスミュージック・チャート”として発表していたという。
しかし1947年の或る週末「もう、こういう名前で呼ぶ時代ではないだろう」「何か違う名前で呼ぼう、週末の間に皆で考えよう」と、ビルボード誌編集部で話が出たのをきっかけに、次の火曜日にウェクスラーが「R&B(リズム・アンド・ブルース)っていうのはどうだろうか?」と提案し、それが採用されたというのだ。
それともう一つ、このR&Bというジャンルの誕生にはラジオの存在が深く関わっていた。
第二次世界大戦後、全米に白人経営による黒人音楽を流すラジオ局が爆発的に増加したという。
連邦通信委員会によってそれまで規制されていたラジオ局の数が緩和されたのだ。
テレビの普及と共に、中流階級の白人を中心に“ラジオ離れ”が進む。
ラジオは少しずつマイノリティーに特化したメディアとして生き残りをかけるようになる。
小規模なラジオ局はレコードを用いた番組編成に慣れており、DJ(ディスクジョッキー)の重要性が高まっていったという。
リスナーの趣向を見極めつつ強烈な個性で番組を率いるDJが、レコードのセールスマンでありヒットを作り出すキーパーソンとなっていた。
──それは1951年の夏の出来事だった。
オハイオ州クリーブランドで『レコード・ランデヴー』というクラシックレコード専門番組を担当していたDJアラン・フリー..