8 Mile〜マイクを一度握ったら“裁かれる世界”を舞台にしたエミネム主演作
かつてデトロイトは、フォードやゼネラル・モーターズやクライスラーといった自動車産業の本拠地が置かれて栄華を極めていたが、1960年代に入ると人種間の摩擦が起こって暴動沙汰が発生。裕福な白人層は郊外へ逃れ、街の中心部は次第に荒廃化。80年代には産業自体が衰退して失業率や貧困率も上昇。ソウル・ミュージックを牽引したモータウン誕生の地はいつしか荒れ果てた姿に変わり、治安の悪化も問題化していく。
8マイルはデトロイトの境界線だ。俺が育った頃は人種の境界線でもあった。黒人と白人を分離する明確なラインだ。
エミネム自身が言うように、“8マイル”とはアメリカのミシガン州デトロイトに実在するストリートの名前。南側に位置するデトロイト・シティは住民の大半を黒人が占める街で、北側のウォレンは同様に白人が占める街になっていた。ヒップホップに生きる者にとってはシティは本物。郊外は偽物に過ぎない。
1972年10月生まれのエミネムは、父親のいない家庭で育ち、幼年期は生活保護を受ける母親と数ヶ月ごとにカンザス・シティとデトロイトを行き来する生活を繰り返す。転校のために友達もできず、イジメも受けるようになった。そんな14歳の時に転機が訪れる。ヒップホップに目覚めて本格的にラップを始めたのだ。
その後、レストランなどで働きながら、クラブでラップバトルに挑んだ日々をエミネムはこう回想している。
バトルに負けた時は、もう自分の持ってる世界が粉々に砕けていくっていう感じだった。「そんなの大したことない」「また挑戦すればいいだろう」って言われるけど、あの時は人生おしまいだって気がしたよ。バトルは全人生を賭けたスポーツみたいなものだ。馬鹿げているように見えるかもしれないけど、俺たちにとってはこれこそが自分の世界なんだから。
95年には娘の父親にもなり、翌年に地元レーベルからアルバムをリリースするも注目されず。デトロイトの暮らしから抜け出すことを夢見ながら苛立ちが募っていた頃、98年にリリースした自主制作テープ「ザ・スリム・シェイディ EP」(The Slim Shady EP)」がローカルヒット。ドクター・ドレーのレーベル、アフターマスとの契約を勝ち取る。
99年、27歳の時にメジャー・デビューアルバム『ザ・スリム・シェイディ LP』(The Slim Shady LP)をリリース。全米2位を記録し..