マール・ハガード〜死刑囚の心の風景を想って作った伝説の歌
正直言って、それは俺が人生で初めて見た太陽の光だった。ジョニーは俺たち囚人に、子供の頃に教えられた素朴な信仰心を思い出させてくれんたんだ
マール・ハガードが初めてジョニー・キャッシュのステージを観たのは、サンフランシスコのサン・クエンティン刑務所の中。1958年の元日に行われた慰問行事でのことだった。
彼は強盗罪に問われた囚人の一人で、当時まだ20歳。死刑囚監房近くで長く暗い時間を過ごしていたが、この音楽体験を機に模範囚となって21歳の時に仮釈放された。
ハガードはその後、故郷のカリフォルニア州ベイカーズフィールドに戻り、昼は肉体労働に勤しみながら、夜は酒場で歌い始める。それは当時のカントリーの主流であったポップなナッシュビルサウンドとは対極の、荒々しいギターやドラムを前面に押し出した、ハンク・ウィリアムスやレフティ・フリッゼル直系のラフなサウンドだった。ハガードはバック・オウエンズらと共に、西海岸ベイカーズフィールド・サウンドの担い手となっていく。
しかし、有名になるにつれ、ハガードには過去の自分の経歴に対する不安が消えなかった。そんな時、ジョニー・キャッシュ・ショーへの出演が舞い込む。そこでハガードの前科を知るキャッシュは、とんでもない依頼を持ちかけた。観客の前で自らの過去を話せないかと言ったのだ。
それは嫌だって言ったよ。刑務所にいたことは知られたくない。話したら、頭のおかしい奴だと思われてしまう
それでもキャッシュは、正直に話せば観客は必ず味方になってくれる。怖いと思う気持ちも正直に話すべきだと説得した。キャッシュを尊敬していたハガードは少しずつ心を動かされ、その通りにした。そして彼は観客や視聴者に受け入れられた。
そのステージでハガードは自作の「Sing Me Back Home」を歌う。それは兄貴分だった死刑囚が、母親が自分が子供の頃によく歌ってくれたゴスペルを、刑務所内でギターを弾けるハガードに看守を通じてリクエストしたという、サン・クエンティンでの実話から生まれ歌だった。
俺を故郷に連れ戻してくれないか
昔よく聴いた歌を歌って 昔の思い出を蘇らせてくれないか
俺を連れ去ってくれないか
時計の針を戻して 故郷に帰らせてくれないか
俺が死ぬ前に
その死刑囚もハガード同様、1958年のキャッシュの歌を目の前にして、子供の頃の光景を取り戻していたに..