ファクトリー・ガール〜ウォーホルとディランの狭間で破滅した女神イーディ・セジウィック
現代アートの伝説アンディ・ウォーホル。その黄金期は言うまでもなく、ポップアートや実験映画などでその名を美術史に永遠に刻んだ1960年代。
ニューヨークにある「ファクトリー」と呼ばれた自身のスタジオで、〈キャンベルスープ缶〉〈コカコーラ瓶〉〈マリリン・モンロー〉〈エルヴィス・プレスリー〉といったシルクスクリーンによる作品を次々と“大量生産”。有名人、死、企業製品などをモチーフにしたシリーズのほか、「アンダーグラウンドの帝王」としてパーティや音楽興行までも創作素材にし、ポップ・アーティストとして眩しすぎるオーラを放っていた。
芸術が大きく変化し、ロックが生まれた──そんな真っ只中の1965年。アーティストやミュージシャン、詩人や俳優、モデルやドロップアウトした若者たちが行き交う文化的サロンとなっていたウォーホルのファクトリーに、突然一人の女神が舞い降りる。誰もが心を奪われる彼女の名はイーディ。カリフォルニア・サンタバーバラの名家、莫大な資産を築くセジウィック家の令嬢。
貧しいチェコ移民で容姿にコンプレックスがあり、スターやセレブが大好きなウォーホルにとって、イーディ・セジウィックはまさに完璧な存在だった。イーディもまた、自殺した亡き兄を彷彿とさせるホモセクシャルのアンディに特別な感情を抱いた。
そんな彼女が“スーパースター”として迎え入れられるのは当然のこと。ブレーンの反対を押し切って、彼女を当時熱中していた映画(63〜66年に約60本も制作)に起用する。ウォーホルは言った。「彼女は何をやらせても僕よりうまい」
イーディは、ファクトリー・ガールとしてウォーホルのミューズとなった。自由気ままに振る舞い、優美さも兼ね備えた彼女はどこに繰り出しても周囲を魅了した。
彼女はいつも出て行こうとしていた。良いムードのパーティの時もそうだ。イーディはいつもそんな感じ。次に何が起こるか、それを待っていられなかった──アンディ・ウォーホル
また、ブロンドのピクシーカット、大きなイヤリング、クレオパトラの瞳と称された独特のアイメイク、レオタード、黒いタイツはイーディの象徴となり、ファッション雑誌ヴォーグも虜に。
アンディといた時、私はジャズ・バレエを1日2回踊った。誰もこんなダンスで楽しい気分になるとは思わなかったけど、レオタードを着てつま先で立ってみた。レオタードにTシャツ姿の私を..