ジョン・レノンとポール・マッカートニー〜運命的な出会い、最強作曲コンビの誕生
「僕はクオリーメンというバンドを持っていた。僕がボーカルでリーダーだった。ポールに会ったとき、彼をバンドに入れるか入れないか?迷ったんだ。ポールを入れて強力なバンドにする方がいいのか?僕一人で引っ張っていく方がいいのか?結論は“ポールを入れる”だった。僕一人でやっていくより、彼と組んで最強のバンドを目指そう!力を合わせよう!と思ったんだ。」(ジョン・レノン)
ジョン・レノンの父親アルフレッド(当時26歳)は船で臨時に雇われていたウェイターだった。
アルフレッドがジョンの側にいたのは2年間だけで、彼は母子を置いて姿をくらましてしまった。
母親ジュリア(当時24歳)は別の男性を見つけ、ジョンは彼女の姉ミミに預けられて育った。
ジョンがティーンエイジャーになった頃、イギリスではロニー・ドネガンの「Rock Island Line」が大ヒットし、スキッフル・ブームが起っていた。
1956年、16歳となったジョンは、エルヴィス・プレスリーの「Heartbreak Hotel」を聴き、ロックンロールの洗礼を受ける。
この頃、ジュリアが近くに住んでいることを知ったジョンは、ジュリアの家へ行き来するようになる。
夫・フレッドからバンジョーのコードを教わっていたジュリアは、ジョンにバンジョーのコードをいくつか教え音楽に関心を向けさせた。
ミミは賛成しなかったが、ジュリアはジョンのロックンロール好きに理解を示し、彼がハイスクール時代に初めて組んだバンド、クオリーメンを応援していた。
バンドメンバーは、学校の放課後にジュリアの家に集まって練習をしていたという。
一生懸命練習を重ねながら、クオリーメンは自分たちのコンサートを開催できるほど上達してゆく。
そのコンサート活動を通じて、ジョンは運命的な出会いを果たすこととなる。
それはジョンがハイスクールを卒業する数週前のコンサートでの出来事だった。
1967年7月6日、クオリーメンはリバプールにある教会のお祭りで演奏をすることとなった。
婦人たちや老人たち、はしゃぐ子供たちを前にして彼らは“場違い”な存在だった。
当時16歳だったジョンは、ポマードで髪の毛をテディーボーイスタイルにキメて、細身のブラックジーンズをはいて、ジーン・ヴィンセントのヒット曲「Be-Bop-A-Lula」を歌った。
街の人たちやお祭りの関係者は、彼らの演奏に対して..