バンドを去ったミック・テイラーに届いたキースからの電報〜キース・リチャーズ語録①
キース・リチャーズの自伝本『ライフ』は、ツアー中のドライブ途中で起こる警察とのいざこざや裁判沙汰で幕開く。ミュージシャンのバイオグラフィーの始まりとしては画期的すぎて、まるで一本の映画のワンシーンを観ているような気にさせられた。
ロックスターのイメージを創り上げた男の人生だ。画になることは間違いない。しかも「世界最高」「世界最強」と謳われるロックンロール・バンドの音楽的支柱。ローリング・ストーンズのギタリストとして、数々の苦難を乗り越えてきたキース流の生き方は“リビング・レジェンド”そのもの。
実際、映画化のオファーもすぐに来たそうだが、キース曰く「そもそも“俺”をどうやって見つけるんだ? キース・リチャーズの後継者降臨なんてのは全くのシャレにならないぞ。たぶん俺が死んでからだな。映画が作られるのは」
キースの言葉は、そのトラブル続きの生活や経緯を知っている人にとっては心に奥深く染み込むことだろう。彼を知らない人であっても、キース自身が発する言葉や言い回し、エピソードは実に魅力的なので、そのへんにあるベストセラー小説よりも多くの術や知恵を教えてくれるかもしれない……前置きはこのくらいにして、様々な書物に記録されたキースの言葉に耳を傾けてみよう。
●母親へ
“2年もてばいい方だよ”
1963年のデッカとのレコード契約の日、キースが母親に告げた言葉。キースは当時を「2年も続いたバンドなんていなかったはずだ。だからそう思ったのは当然で、いくらビッグになろうと2年経ったら終わり。そういうサイクルが当たり前だった」と振り返った。
“ママへ。出る前に電話できなくてごめん。だけど電話をかけるのは危険なんだ。何も問題はないから、心配しないでほしい。ここは最高だし、目的地に着いたら手紙を書くよ。愛を込めて。逃亡中の息子、キーフより”
1967年。イギリスのロックスター潰し強化の一環でドラッグ裁判の渦中にいたキースは、ブライアン・ジョーンズやアニタ・パレンバーグとモロッコへ息抜き旅行。その時に出されたハガキ。
●愛するバンドのこと
“ローリング・ストーンズはチャーリー・ワッツのバンドなんだ。奴がいなけりゃバンドは成り立たない”
キースが絶大な信頼を寄せるチャーリー。面白いエピソードがある。1984年。キースがミック・ジャガーと結婚式に参加するために一緒にアムステルダムにいた..