ジョー・コッカーが世界に名を知らしめるきっかけとなったアメリカツアーの伝説
2014年12月22、イギリス出身のブルー・アイド・ソウル・シンガー、ジョー・コッカー(享年70)がアメリカ・コロラド州の自宅で死去した。
死因は肺癌と公表された。
ハスキーなしわがれ声と独特の歌唱が持ち味だった彼には、世界に名を知らしめるきっかけとなったターニングポイントがあった。
1960年代初頭、15歳となった彼はガスの配管工として働きながら“ヴァンス・アーノルド”という芸名を名乗り、労働者達が集う酒場(パブ)で音楽活動を始めた。
大好きなレイ・チャールズやチャック・ベリーの曲をカヴァーし、ジョン・リー・フッカーやマディー・ウォーターズなどのブルースを多く歌っていたという。
1963年、ジョーは19歳にしてザ・ローリング・ストーンズのサポートを務めた後、デッカレコードと契約を結び、翌年ビートルズの「I’ll Cry Instead」のカヴァーしたレコードをリリースすることとなる。
しかし、セールスは伸びることなく…彼のデビュー作は不発に終わる。
地元シェフィールドでライヴ活動を地道に続け1968年(当時24歳)にA&Mレコードから再デビューを果たす。
同年、ビートルズの「With A Little Help Of My Friends」をカヴァーしたシングルがイギリスでトップ10入り一躍人気歌手の仲間入りを果たす。
そして、1969年8月ウッドストック・フェスティヴァルに参加し、彼は成功への階段を登り始める。
このステージでのパフォーマンスが話題となりアメリカでも注目を集めるようになった彼は、その翌年、レオン・ラッセルがバンドリーダーを担当したマッド・ドッグス&イングリッシュメンをバックに従えて全米ツアーを実施する。
同バンドは、60年代後半~70年代に巻き起こったスワンプロックムーヴメントの立役者として知られるデラニー&ボニー&フレンズから抜けてきた(レオン・ラッセルが引き抜いた)腕利きのミュージシャン達に加え、実力派のシンガー達がバックコーラスを固める21人編成となった。
そのメンバーリストには、主役のジョー・コッカー(ボーカル)、バンドリーダーのレオン・ラッセル(ギター/ピアノ)、クリス・ステイントン(ピアノ/オルガン)、カール・レイドル(ベース)、ジム・ゴードン(ドラムス)、ドン・プレストン(ギター)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、チャック・ブラック..