
エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」が日本で発売された日
1972年(昭和47年)12月1日、エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」(東芝音工)が日本で発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…
1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ
2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子
3位「さよならをするために」/ビリーバンバン
札幌冬季オリンピック、ミュンヘンオリンピックが開催され、自動車に初心者マーク登場、東北自動車道が開通、そして連合赤軍によるあさま山荘事件がおこった年でもある。
憶えているよ…ロックが流行り出した頃のこと
僕とスージーには沢山の楽しみがあった
手を取り合い お金も使いまくって
中古だけど金色のシボレーは自慢だった
でも一番強烈な刺激はクロコダイル・ロックだった
他のガキどもがロック・アラウンド・ザ・クロックに夢中だった頃
僕らはクロコダイル・ロックにノリノリだったんだ
■Rock Around The Clock(ロック・アラウンド・ザ・クロック)
1950年代のロックンロールブームの先駆けとなったビル・ヘイリーの代表曲
1971年、24歳になったエルトンは短期の北欧ツアーを終えた後、長期にわたって北アメリカツアーに時間を費やした。
自身の代表曲となった「Your Song(僕の歌は君の歌)」(1970年)の大ヒットもあり、彼の生活は財政面も含め、大きく変わってきた時期だった。
自他共に認める彼の「浪費癖」「収集癖」は、止まることを知らなかったという。
十代の頃から情熱を燃やしてきたレコード収集はもちろんのこと、1972年にはロンドンから車で45分ほどの距離にあるバージニア・ウォーターに家を買い“ヘラクレス”と名付けた。
その他、古美術骨董品、絵画、指輪、時計など、気に入ったものがあればかたっぱしから買い漁っていた。
皮肉なことに、音楽活動が順調に進んでいたこの時期、彼の精神状態はとても不安定なものだったという。
レコード会社DJM(ディック・ジャームズ・ミュージック)との契約で、彼は年に二枚のアルバムを発表しなければならなかった。
そんな窮屈な約束事が彼の精神を追い込んでいたのだ。
1972年5月、なんとかアルバム『ホンキー・シャトー』を発表。
続く6月〜7月には、新作『ピアニストを撃つな!』のレコーディングに取り掛かった。
生まれつき音感の鋭いエルトンは、早い時には(バーニー・トーピンが書いた..