
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン〜16歳で映画会社の重役になりすましたスピルバーグ
「映画製作に自分の金は注ぎ込むな」──早熟の天才スティーブン・スピルバーグは16歳の時に巨匠ジョン・フォードから忠告されたことを、ハリウッドで仕事するようになってからずっと守り続けることにした。そして30年後、46歳の時に遂に資産1000億円以上を持つビリオネアになった。
自分の金は一切出さない代わりに、作品の所有権は放棄する。しかし作品に対する権利は違う。自分の映画が大ヒットする保証はしないけれども、もし成功した場合は大きな取り分を与えられることを主張するのだ。映画が公開されると興行収入の5〜15%を受け取る。どんなに映画がヒットしなくても必ず金は入ってくる仕組みだ。こうして1993年(46歳)に監督した『ジュラシック・パーク』でスピルバーグが稼いだ金額は驚異の262億円。当時、一本の映画からこれだけの利益を得た者は誰もいなかった。
非凡な才能があったスピルバーグは20歳の若さでTVディレクターとなった。そして1974年に映画に進出し、翌年に監督した『ジョーズ』がそれまでの映画興行の全ての記録を塗り替える大ヒットを記録する。まだ20代後半の時だ。普通なら名声に溺れ、パーティ三昧の中で若い女優と浮かれてスキャンダル沙汰になるのがオチだろう。だが彼はハリウッド帝国の金の動きを冷静に見つめることを忘れなかった。
次作『未知との遭遇』(1977年)では決定的な学習をする。利益の17.5%を受け取る契約を交わしたものの、手にしたのはわずか5億円。いくら大ヒットした映画でも様々なコストを差し引くと、利益は残らない。そこで意味のある金とは? それは興行収入からの分配だと気づく。
有名な『E.T.』では、ビデオの売り上げからも分配を受け取る契約を結んだ。ビデオ時代が来ることを見抜いたのだ。この項目だけでスピルバーグは70億円を手に入れた。ちなみに『ジュラシック・パーク』の続編『ロスト・ワールド』(1997年)では、何と340億円を稼いだ。
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(Catch Me If You Can/2002)は、巨額の金を手にしたスピルバークらが1994年に設立した製作会社「ドリームワークスSKG」のヒット作の一つ。16歳という若さで大胆不敵にも世界を欺いた詐欺師フランク・アバグネイルの自伝の映画化だ。実は本作を監督したスピルバーグも同じ16歳の時、アバグネイ..