スティング〜ポリス結成物語

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1976年5月1日、スティング(当時24歳)は北アイルランド出身の舞台女優フランシス・トメルティと結婚をする。
二人の出会いはスティングがまだ小学校の国語教師と並行して“ラスト・イグジット”というバンドで活動していた時期だった。
当時スティングは、音楽活動と教師のどちらが本当にやりたいことなのか?日々迷っていたという。
妻フランシスは、そんな夫に助言をした。

「彼は地元ニューカッスルを離れたがっていたわ。そこでの将来は目に見えていた。音楽でやっていくならロンドンに行かなきゃ!私のお腹には生まれてくる赤ちゃんがいたけど、彼の背中を押したわ。」


スティングは音楽一本でやっていく決心をした。
同年の11月、二人の間に長男が生まれる。
先のことは何も決まっていなかった…
生後間もない息子と少しばかりの荷物をオンボロ車に乗せて夫婦はロンドンを目指して出発した。
ロンドンではまず、フランシスの知り合いのアパートに転がり込んだ。
週16ポンドの失業手当が生活費のすべてだった。

「金がなくて人参ばかり食べていたよ。人生の中で、あの時ほど未来を不安に思ったことはなかった。」


ラスト・イグジットは、他のメンバーがロンドンで活動することを渋って…翌1977年の年明け早々に解散してしまう。
その解散の区切りとして、最後に地元ニューカッスルで行ったクリスマスライブの観客席に(後にポリスで活動を共にする)スチュワート・コープランドが座っていた。は、その日スチュワートのことを鮮明に憶えているという。

「ボーカルのスティングに強い印象を受けたよ。不思議な存在感があったんだよ。ステージ後、彼に連絡先だけを聞いて会場を出たんだ。」


1977年1月、スチュワートはスティングに「一緒にバンドをやってみないか?」と誘いの電話をかける。
スチュワートもまた、それまで活動していたバンドが解散し、新たに自分のバンドを作ろうとしていたのだ。
最初に声をかけたのがスティングだったという。
スチュワートはまだメンバーも揃っていない状況にも関わらず、すでにバンド名を考えていた。
誰もが新聞やテレビを見るたびに目にする言葉、それが“ボリス(警察)”だった。
スティングは、その面白い発想(バンド名)とスチュワートの熱意につられるように、彼の仲間に入ることにした。
数日後、3人目となるメンバー、ヘンリー・パドヴァーニ(アンリ・パドヴァーニと表記されることもある)も加わった。

「スチュワートは素晴らしいドラマーだったよ。だけどヘンリーが3つのコードしか鳴らせないギタリストだとわかったのは後になってからのことだった。」


当時ロンドンにはパンクの波が押し寄せ、音楽シーンを飲み込もうとしていた。
セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ザ・ダムドを筆頭に、イキのいいバンドたちによる過激なファッションや音楽性は、一種の社会現象を巻き起こしていた。
幼い息子と妻を抱え、生活も行き詰まっていく中、スティングはもう後には引けない状況に追い込まれていた。

「このバンドで上手くやっていけるか?誰も予想はできない。ヘンリーのギターテクニックはあまりにもお粗末だったし、彼は努力をしようとしなかった。」


1977年5月1日、ポリスはデビューシングル「Fall Out」をリリースした。
スチュワートの実兄マイルス・コープランド(当時ポリスのマネージャー)のインディーレーベルIllegal Recordsで制作されたそのレコードには、ヘンリーにギターのタイミングを教えるスティングの掛け声も録音されており、パンク全盛の時代に相応しい荒削りで生々しい演奏が収録されていた。
当時、自費制作で2000枚だけプレスされたそのレコードは、後々には10万枚を売り上げることとなる。
作曲者のスチュワートは、そのテイクをこんな風に表現した。

「スティングの声と僕たちの速い演奏が、どこかディープ・パープルを思わせた。僕たち3人は満足だった。」



このリリースに併せて、彼らは初めてのツアーに向けてリハーサルをスタートさせていた。
アメリカの女性パンク歌手チェリー・バニラの前座としてイギリス国内を廻るスケジュールが目前に迫っていたのだ。
そんな中、ヘンリーはまだギターのコードすらまともに覚えていない状態だった。
当時から完全主義者でミュージシャンとしてのプライドを持っていたスティングはヘンリーに対して苛立ち、そして焦っていた。

「こんなことで本当にやっていけるのだろうか?バンドが分裂する前になんとかしなければ手遅れになってしまう!」


スティング(当時25歳)とスチュワート(当時24歳)は出会った当時、サポートメンバーとして“ストロンチウム90”というバンドに参加していた。
彼らは、そこでギタリストのアンディ・サマーズ(当時34歳)と顔を合わせていた。
アンディはズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドやアニマルズのメンバーとして60年代から活動を続けてきたキャリアも経験も豊富なベテランギタリストだった。
ポリスがリハーサルを繰り返していた5月のある日、ロンドンの地下鉄に乗っていたスチュワートが偶然同じ列車に乗り合わせたアンディから声をかけられる。
アンディはスチュワートをコーヒーに誘い、こう切り出した。

「君たちのバンドは凄いよ。だけどギタリストをやめさせて新しい奴を入れるべきだ。僕を使ってみないか?」


ヘンリーをやめさせることが条件だった。
スチュワートは「すぐには彼をクビにはできないけど、いずれはそうしなければならい」と答えた。
数日後、4人がスタジオで顔を合わせた。
アンディが入ることによってバンドの演奏は一気に引き締まった。
ほどなくしてヘンリーが脱退し、新体制となったポリスは1978年にA&Mからシングル「Roxanne」でメジャーデビューを果たす。



3人の音楽はジャズ、レゲエ等の要素を取り入れた高度なものだった。
さらにマネージャーのマイルスが巧みなイメージ戦略によって、彼らはパンクムーブメントの波に乗り人気を集めてゆく。
同年11月、ポリスは1stアルバム『Outlandos d’Amour』をリリース。
同作は全英アルバムチャートで6位を獲得し、次いで発表された2ndアルバム『Reggatta de Blanc(白いレガッタ)』とシングルカット曲「Message In A Bottle(孤独のメッセージ)」 は相次いで全英チャート首位をマークした。
当時、彼らは「あと3年くらいのうちにビートルズが作った世界的記録をすべて塗り替える!」と豪語していたという…
<引用元・参考文献「伝記 世界の作曲家 スティング」マーシャ・ブロンソン(著)松村佐知子(翻訳)/偕成社>
こちらのコラムの「書き手」である佐々木モトアキの音楽活動情報です♪
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『山部“YAMAZEN”善次郎×佐々木モトアキ ダブルネーム弾き語りTOUR “ちょっと長い関係の歌旅2022”】


1月15日(土)八幡DELSOL café
1月22日(土)福岡ROCK食堂(昼公演)
1月22日(土)福岡ROCK食堂2階Honey Bee(夜公演)
1月23日(日)行橋Rock ‘n Roll Bar Memphis 
1月29日(土)大阪 新世界ヤンチャーズ
1月30日(日)和歌山OLD TIME
2月5日(土)久留米 農と音2号店 
2月6日(日)佐賀 雷神 
2月18日(金)横浜THUMBS UP
2月19日(土)静岡・御前崎Cook House椿
2月20日(日)名古屋ROLLINGMAN
2月22日(火)金沢JealousGuy
2月23日(水・祝)新潟Mush
3月4日(金)沖縄・コザ CROSSOVER CAFE’ 614
3月5日(土)沖縄・那覇Drunk CINDERELLA
3月6日(日)沖縄・宮古島 雅歌小屋
3月19日(土)下北沢ニュー風知空知
3月20日(日)茨城・水戸Jazz Bar Bluemoods
3月21日(月・祝)埼玉・所沢MOJO
3月25日(金)広島LIVE café Jive
3月26日(土)岡山Desperado
3月27日(日)徳島Music Bar Ricky
4月15日(金)小郡ジラソーレ
4月16日(土)熊本八代7th chord 
4月17日(日)大牟田 陽炎
4月21日(木)仙台HIGHBURY
4月22日(金)福島Harvest
4月23日(土)岩手・二戸 HOUSE OF PICNIC 
4月24日(日)秋田・湯沢BASEMENT
4月28日(金)東広島pasta amare 
4月30日(土)福岡Bassic.(ライブ&スペシャルスライドショー)
↓チケットご予約&公演詳細・共演者情報はこちら
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【歌ものがたり2022 雨ニモマケズ風ニモマケズ】


4月2日(土)兵庫・宝塚 IL grazie
4月3日(日)京都・四条大宮高辻 夜想 
4月9日(土)茨城・古河LIVESTATION ”L”  
5月3日(火・祝)福岡・みやま市 暖古扉(だんぶるどあ)
5月4日(水・祝)大分・日田Chewing Gum
5月14日(土)横浜Bar Brixton Market
5月15日(日)静岡・三島 ぐらBar’s
5月21日(土)群馬・前橋 呑竜横丁 
5月27日(金)名古屋ROLLINGMAN
5月28日(土)和歌山OLD TIME
5月29日(日)大阪 大きな輪
6月3日(金)小倉Bar Disa
6月4日(土)福岡Bar KINGBEE
6月5日(日)行橋Rock ‘n Roll Bar Memphis
↓チケットご予約&公演詳細・共演者情報はこちら
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佐々木モトアキの楽曲「You」のミュージックビデオです♪
映像編集、ポートレート(写真)撮影共に、佐々木モトアキ本人が手掛けております。
とてもシンプルな技法ですが、何よりも登場する皆さんの表情が素敵です✨
人が“目を閉じている”表情。
その“瞼(まぶた)に浮かんでいる”誰かの顔。
繋がってゆく“一人ひとりの想い”が、100通りの、いや1000通りのドラマを描いてくれています。


佐々木モトアキ
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【佐々木モトアキ プロフィール】
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【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
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