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ボーイズン・ザ・フッド〜子供のまま大人でいることに慣れてしまった者たちへ

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ラプソディ・イン・ブルー〜短い生涯で大量の名曲を書き上げたジョージ・ガーシュイン

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蓄音機を発明したエジソンにまでたどり着いた細野晴臣の音楽を探る旅

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石田長生が初めて日本語のブルースを感じたという西岡恭蔵の「プカプカ」

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夕陽のガンマン〜悪を裁くのは正義でもヒーローでもない。悪を始末するのは“成熟した流れ者”だ。

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ニュー・シネマ・パラダイス〜80歳の淀川長治の胸をかきむしった“みんなのための実話”

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断絶〜“2人の有名ミュージシャン”が主演したロードムービーの衝撃

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ドアーズ〜“知覚の扉”を開け続けたジム・モリソン27歳の結末

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ブライアン・ジョーンズ/ストーンズから消えた男〜すべてを失いながら彼は1969年に伝説になった

ロックの歴史を振り返ろうとする時、1969年は非常に意味深い年として捉えられることが多い。 それは激動の60年代最後の年であるばかりでなく、ビートルズの実質的なラストアルバムがリリースされた年であり、愛と平和と自由の象徴ウッドストックの開催と、それを覆したオルタモントの悲劇が起き、のちにイーグルスが「ホテル・カリフォルニア」で「1969年以降、私どもはそうしたお酒(Spirit/精神)は用意しておりません」と歌った年。 そして、忘れられない出来事はブライアン・ジョーンズが亡くなったこと。彼の死は、60年代のポップスターの相次ぐ死の始まりでもあった。 翌年にはジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリン、翌々年にはジム・モリソンやデュアン・オールマンが亡くなっていく。ブライアンの死は、一つの時代の終わりを静かに告げていた。1969年7月3日、自宅のプールでアルコールとドラッグの過剰摂取による原因で溺死。享年27。 『ブライアン・ジョーンズ/ストーンズから消えた男』(Stoned/2005)は、ブライアン・ジョーンズの事故死を“他殺説”の観点から描いた問題作だった。 死の直前まで一緒にいた住み込みの建設業者フランク・ソログッドが1993年に「ブライアンを殺したのは私だ」と告白。事実関係を検証する前に病死してしまったので謎のまま封印されたが、監督のスティーヴン・ウーリーが10年の歳月のリサーチを経て、この説を映画化した。 1962年のロンドンでローリング・ストーンズは結成されるが、その創始者/リーダーは紛れもなくブライアンだった。数々の楽器を弾きこなす音楽スキルの高さ、男女の垣根を飛び越えた斬新なファッションセンスは、メンバーの中でも最も強いカリスマ性を放った。 この金髪の美少年の前では、ミックもキースも垢抜けない子供のように見えた。まだボトルネックが何なのかイギリスでは誰も知らない頃から、ブライアンは見事にスライドギターをものにしていた。 1965年9月、そんなブライアンに運命の出逢いが訪れる。ドイツ公演でモデル/女優のアニタ・パレンバーグと恋に落ちるのだ。似た者同士の二人は意気投合し、スウィンギング・ロンドンを象徴するカップルとなる。 しかし、ストーンズのソングライターやフロントマンは今やミックとキースで、そのことがブライアンを傷つけ孤立させてもいた。ポップスターとして..
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ラストタンゴ・イン・パリ〜マーロン・ブランドが『ゴッドファーザー』の次に選んだ衝撃作

ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』(Last Tango in Paris/1972)を2度観たことがある。最初は10代後半の頃にビデオで。はっきり言ってアメリカ文化に傾倒した都心在住のティーンのハートに響くわけがなかった。時代はバブル経済真っ盛り。この映画を貫く気怠いムードやラストの哀しみとは無縁の世界の空気が、窓の外を覆っている。「ヨーロッパ映画=芸術・知性」などという拭い切れない思い込みもあり、やや気負いもあったのか。 でも、同時期に小さな映画館(確か早稲田あたり)で観たフェリーニの『甘い生活』、ゴダールの『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』、アントニオーニの『欲望』、そしてヴェンダースのロードムービーは楽しめたし、その世界観が好きになった。リアルタイムで観たジャン=ジャック・ベネックスの『ディーバ』、リュック・ベッソンの『グラン・ブルー』は心地よかったし、『ニュー・シネマ・パラダイス』には号泣もした。 あれから30年の歳月が流れた。『ラストタンゴ・イン・パリ』を今回改めて観て、最初に拒絶した理由が分かった。あの頃は同世代の若い女の子が50歳近いオヤジと戯れるという内容に嫌悪感を抱いていたのだ。 今は違う。“オヤジ側”の立場で鑑賞する。マーロン・ブランドの心境が分かるようになった。最後のどうしようもない情けない姿に“人間らしさ”を感じた。音楽的には、男と女にねっとりと絡みつくようなガトー・バルビエリのサックスの存在感……ヨーロッパ映画を難しく語る必要はないし、誰かに語るために同じ映画を何十回も観なくていい。 公開当時は大胆な性描写が話題となり、イタリアでは公開すぐに上映禁止。日本でも「あの『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランドが衝撃のポルノ映画に主演」と騒がれたこともある。しかし、今では驚くべき画など何もない。 ただ、より深みを増した点はある。「名前も名乗らず、素性も明かさず男女関係を持つ」ことが、SNSやスマホを使った“常時接続”コミュニケーションにどっぷりと浸る現在では、何か強いメッセージを放つように思えたこと。 パリのアパートの空室。同じタイミングで部屋探しに来た中年男(マーロン・ブランド)と若い娘(マリア・シュナイダー)が出逢う。二人は衝動的に互いの肉体..
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星野源やチャラン・ポ・ランタンたちが「スーダラ節」を歌い継ぐことで何かが変わるのか?

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アメリカン・グラフィティ~あの伝説のDJが流す41曲の珠玉のオールディーズ・ナンバー

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ドゥ・ザ・ライト・シング〜無関心のままじゃヤバイんだよ、そろそろ真剣になろうぜ

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いまを生きる〜「本当の学校教育とは何なのか?」を力強く教えてくれる不朽の名作

「学校教育」の意義が問われ始めてから、もうどれくらいの歳月が経つだろう。進学するための勉強を数値で測ることは、受験システムを強大化させ、必然的に学習塾のニーズを高めた。そしてイジメ問題、親の口出し、経済格差の広がり……学校を取り巻く環境は今も深刻な領域から抜け出せずにいる。「なぜ受験するのか?」という問いに、自分の言葉で明確に答えられる子供など果たしているのだろうか。ほんの一握りでは意味がないのだ。 世界に標準を合わせ、英語教育やIT教育を推進する動きも出てきてはいる。だがそれ以上に必要なのは「生きていく力」「他人を思いやる力」であり、「夢を実現する力」「課題を解決する力」であるべきではないか。例えば、お金のリテラシー教育やイノベーション教育を導入した方が、日本の未来を担う子供たちは、もっと笑顔で自信を持って一歩目を踏み出すことができるようになると思う。 『いまを生きる』(Dead Poets Society/1989)は、まさにそんな“人間のあり方”を伝えてくれる力強い映画。30年前の作品だが、今もその輝きは色褪せてはいない。 主演は惜しくも亡くなった名優ロビン・ウィリアムズ。そして500人ものオーディションから選ばれたという7人の生徒たち。その中にはイーサン・ホークもいた。監督はピーター・ウィアー。脚本はトム・シュルマンのオリジナルで、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞。 1959年、ニューイングランド州バーモント。森と湖に囲まれ、渡り鳥の大群が舞うほど美しい自然に恵まれたこの地に、全米屈指の名門校ウェルトン・アカデミーがある。全寮制の男子校で創立100年を誇るこの学校は、「伝統・名誉・規律・美徳」の教育理念のもと、生徒たちに名門大学へ進学することを課し、管理の行き届いた環境で親たちから絶大な信頼を得ている。 今年も新学期がやってきた。同校のOBだというキーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してくる。教育理念をもじり、「模倣・醜悪・退廃・排泄」の地獄の学院と自虐する17歳の少年たちにとって、新しい教師は注目の対象だ。しかし、キーティングは型破りの言動と授業を展開して彼らを驚かせる。 教育方針は「今を生きろ」。偉大な詩人たちを数値で測ろうとする教科書の序文を破り捨てることを命じ、机の上に立っていつもと違う新しい視野を持てと説く。 生徒一人ひとりの可能性や情熱、..
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奇妙な宇宙船に乗って旅立っていった男〜ジャズ界の鬼才エリック・ドルフィーを偲んで

今日は、ロサンゼルス生まれのジャズ・サックス奏者エリック・ドルフィー(享年36)の命日です。 卓越した技巧と独特のアドリブフレーズで知られるサックス演奏の他に、フルートやクラシックにおいて使用されるのが主だったバスクラリネットをジャズの独奏楽器として用いたことで、後のジャズ奏者に多大な影響を与えた男である。 1958年、長い“下積み生活”を経てきた彼は30歳にしてチコ・ハミルトン楽団に参加。 程なくして、あのジャズ界の巨人ルイ・アームストロングのバンドのベーシストとして活躍していたチャールズ・ミンガスの楽団に加わる。 同時期にソロ活動も開始。 1961年にはトランペット奏者ブッカー・リトルとの双頭コンボを組むも、同年10月のリトルの急逝で頓挫。 1961年~62年まで、ジョン・コルトレーンのグループに参加し、1964年には再びミンガス楽団に加わった。 そして同年、ミンガス楽団のヨーロッパツアーに参加中、糖尿病による心臓発作のためベルリンにて他界。 遺品となったバスクラリネットとフルートは、ドルフィーの両親からコルトレーンに贈られたという…。 彼が32歳の時に発表したアルバム『Out There』(1960年)のジャケットには、サルバドール・ダリ風の奇妙な絵が描かれている。 空中に浮かんだコントラバスの船にドルフィーが乗って、なんだか難しい顔でサックスを吹いている。 船の帆はチェロ、屋根はシンバル、側壁からはホーンが突き出ており、船底にはフルートがへばりついている。 航跡には楽譜が漂い、丘の上には灯台のかわりにメトロノームが立っている。 それはまるで“宇宙の場末”を彷徨いつづける心を表現しているかのようだ。 また、このジャケットの裏にはドルフィー自身による、こんな言葉が書き記されている。 何か新しいことが起きようとしているんだ。 それが何であるか僕にはわからない。 でもそれは新しいものであり、優れたものなんだ。 そして、それは今まさに起ころうとしている。そのまっただ中に、ここニューヨークにいられるというのは本当に素晴らしいことだよ。 このアルバムは録音されたのは1960年の8月。 保守的な50年代もようやく終りを告げ、ジョン・F・ケネディが大統領に選出される少し前のことである。 長年に渡って薄暗い場所で下積み生活を余儀なくされていた彼にも、この頃からスポットライト..
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